Hip Hopに出会い、黒人文化に触れ、黒人の友人と家族同然の関係を築き人生を共にするにつれ、「良いスニーカーを履くこと」がとても大事なことだというカルチャーを知った私にとっては、スニーカーを集め熱狂することは元は「黒人文化のもの」でした。今でもそれは変わっていません。
しかしながら、日本に帰ってきた後、黒人文化とスニーカーとの繋がりやカルチャーについて特集したり、解説したりする日本のスニーカーメディアにはまだ出会えていません。
そのことについてはいつも不思議だったある日。
ご縁があり出会った日本人男性でスニーカーコレクターの方が、ご自身のインスタグラム投稿に、アママニエールコラボのリリースに先駆けたSNKRSアプリ内でのブランドオーナーやデザイナーがデザイン背景を語る対談動画に対し、「このプロモーション要りますか?」といった発言ではじまる、購入を煽るナイキに対して苦言を呈した内容がありました。
私はそれに対しての悔しさを感じてしまい、そのプロモーションの意図やアママニエールが発するメッセージの重要性があるからだというコメントを残しましたが、削除されてしまいました。
その方からはDMで削除した理由は連絡いただいていて「論点がズレていて別の議論が始まってしまうと面倒くさいから」ということでした。
「いやいや、その議論をして欲しいから、この人達はこのコラボデザインして動画も作ったんやろ?!」
と、また更に悔しく無念な気持ちに。
BLMは世界的なムーブメントになったし、日本でもマスメディアやSNSで連日報道されていたので、知らないわけはないはず。
アママニエール は、ファーストモデルからずっと黒人の尊厳と未来を担う若者へのメッセージを込めたデザインをスニーカーデザインに込めていて、コレクターならアママニエール のデザイン背景を知らないわけはないはず。
「僕の今までの内容とずっと続けているポイントを、点と線でご理解いただけたら...」
という説明もありましたが、この方の言う「点と線」の中に「この点=黒人の人たちからのメッセージ」がない事が問題なのに....(涙)と、更に悲しさと悔しさが込み上げました。
それが黒人の人たちにとってどれほど大切で意味があることなのか。
コメントが削除されてしまったのはこの上なく悲しかったし、失望しました。
日本のスニーカーメディアで、黒人文化との繋がりを紹介しないのはこういった人が一般的だからなのでしょうか?
日本メディアは紹介している記事は見かけますが「スニーカーメディア」では見つけたことはありません。でも「スニーカーメディアこそ」この事を伝えるべきだと思うのです。
via A Ma Maniere
NIKEという影響力、スニーカーという影響力、そういった力を使って伝えなければいけないメッセージがあります。虐げられてきた歴史が長く、今でも多くの問題が続く黒人にとっては声を発する機会すら与えられてこなかったので「発信すること・伝えること」にはとても深い意味があります。
文化社会学専門で「スニーカー文化論」を書いた川村由仁夜さんによると
従来、スニーカー収集はニューヨーク・ブロンクス地区に住む黒人のコミュニティーから始まったサブカルチャーです。(asahi shinbun globeより)
ということ。
日本が世界のスニーカーカルチャーに与えた影響は計り知れないし、とても重要でそれを伝えることも大事です。
でも、ルーツとなった黒人文化との繋がりも含めて伝えることは、スニーカーカルチャーを楽しみ、語り合う上ではなくてはならないことなのではないでしょうか。