伝説のスナップ雑誌【FRUiTS】青木編集長インタビュー:FRUiTS創刊当時の原宿、休止の理由、そして復活への思いとは

伝説のスナップ雑誌【FRUiTS】青木編集長インタビュー:FRUiTS創刊当時の原宿、休止の理由、そして復活への思いとは

編集部:FRUiTSを始めるきっかけや創刊当時の日本について教えてください。

青木編集長 :FRUiTSを始めたのが、創刊は1997年なのですが、その前1985年くらいから10年間くらいは「STREET」っていう雑誌をやってまして、ロンドンとかパリとかのストリートファッションの撮影をしていました。もともと、人間が服を着て格好良い状態であることを「作品」だと捉えていて、その姿を撮影して収集したいという願望が芽生えた時期でした。

STREETを始めてから10年間くらいはDCブランドブームで、自分もその中にどっぷりはまっていたのですが、全身ギャルソン&YOJI っていう人がたくさんいて、あまり興味が湧かなくなっていたので海外で撮影していました。

その後、DCブランドブームが下火になった96年くらいから、次のファッションのブームって何だろう?って人々が探し始めていたなかで、最初ヴィヴィアンとかネメスとかっていうロンドン系のブランドのデザインが入ってきたり、日本だとMILKBOYとかが流行りだしていましたね。

それがちょっと原宿で爆発し出したのが96年後半くらいだったと思います。

若い子が思い思いのファッションをしながら、ブランドに囚われずに、リメイクしたりブランドをミックスしたりといった新たな動きが急速に始まって、「自分達のファッションを考えなきゃね」っていうモチベーションが出始めたのが97年くらいでした。

これが、急激にスイッチが切り替わったような激しい動きになっていったんで、海外でファッションを撮ってきたように、日本で今始まりつつあるこの「動き」は撮っておかないと!と思いスナップを撮り始めて「FRUiTS」という雑誌を作りました。

FRUITS No.5 1997

FRUiTS No.5 1997

編集部:90年代は様々なトレンドが生まれた時代でもあったと思います。その中でも原宿だったのはなぜですか?

青木編集長 :最初、これ誰か気づいてるのか?というか、誰が見ても明らかなんだけど、意外と凄いことだって誰か気づいてるんだろうか?と。

「そこに気付いているのは自分だけなんじゃないか?」

という思いがありました。

雑誌を見ても誰もフィーチャーしないし。

でも、自分の中では、日本で生まれてずっとファッションを見てきた中では初めての「ファッション革命だ!」という衝撃があったんです。

 

 編集部:当時誰も扱わなかったのはなぜだったんでしょうか?

青木編集長 :ブランドと紐づいてなかったので、ビジネスになると捉えられていなかったところと、高校生や専門学校生などが多かったので、若い子達が何か変なことやってる、っていう程度にしか捉えられていなかったんだと思います。

あと、原宿だけに見られた動きで、当時の原宿は今のように誰でも気軽に来ようとするエリアではなく、お洒落じゃないと行けないっていう限定された人しか行かないエリアだったという点も大きかった。

そこまで多くの人に見られてなかったんだと思います。

 

編集部:ファッションの最先端エリア原宿の中でも、更に最先端なことが起こっていたというところだったでしょうか。そんな若い子達が生まれた原動力というか、何でそういったムーブメントが起こったのかとか、撮り続けていた中で見えた背景ってありますか?

青木編集長 :当時、ファッション系の学生が元気だった時期でもありました。バンタンとか文化とかに通っていた子達が、学校でのブームというか自分達のブームみたいなのがあったらしく、それを原宿に持ってきてて、それが一気に広まったっていうことだったんだと思います。

DCブランドブームが終わってファッショントレンドに「空白地帯」みたいなのができた時期で、DCブームに乗っ取られていたファッションが一気に解放されたんです。

そこへやってきた「自由な精神」というか。

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via FRUiTS

 

編集部:やりたいことを好きに!っていう自由な精神が爆発したところもあったんでしょうか。

青木編集長 :そうですね (笑) あと、原宿だと当時どんな格好してても許容されるというか、何でもありだったんですよね。そういう懐の広さがあった。

 

編集部:そういう場所って必要ですよね。一つのトレンドが終わった後の“隙間”みたいな時期だったですし。

青木編集長 :そうですね。しかも、結構でっかい“隙間”でしたね。あと、原宿ではその辺に座ってても誰も何も言わないし。日曜にはホコ天もあったので、色んな人が集まってきてました。

 

編集部:ちなみに当時の日本には色んな流行りが生まれていて、渋谷のギャル文化も大ブームでしたし、でも原宿だけで撮影していたのは何故だったんですか?

青木編集長 :渋谷と原宿はファッションのベクトルが全然違ってて、ロンドンとかのファッションを撮り続けていた自分にとっては原宿のファッションのクリエイティビティーが面白かったですね。

 

編集部:ちなみに、当時の原宿で見ていたファッションでスニーカーはどんなものがありましたか?

青木編集長 :男の子はエアマックスを履いているのをよく見ました。女の子はコンバースのジャックパーセルをよく見ました。

あと、厚底のスニーカーもよく見ました。トップは普通のコンバースで、靴底部分だけをカスタムしてたりとか。当時「底だけ足し屋さん」みたいなのもあったらしくて (笑) そういったお店にいってカスタムしてたり。

あと、スニーカーは大きなサイズを履いて、足元を大きく見せるというのが裏原でのオシャレでしたね。今は違うのかな? 靴屋さんでフィティングしないで、とりあえず大きなのを買う。

バレンシアガの大きなスニーカーも、原宿ファッションの影響かもと密かに思ってます。

FRUITS from 1997

via FRUiTS from 1997

 

編集部:FRUiTSが世界に与えた衝撃って凄く大きいとは思います。青木さんもFRUITSが影響の大きさは感じられていましたか?

青木編集長 :FRUiTSが出て5年目くらいに、イギリスの出版社から写真集が出て、それが世界的にかなり売れたんですよ。それをきっかけに、初めて海外の人にも日本人のファッションが注目されるようになったと思います。日本の若い子達がこんなカラフルで自由な格好してるんだ!っていうのが世界に知れ渡った。それまでは、コムデギャルソンとかはファッション界では知られていましたが、一般の若い子のカルチャーなんかが海外で注目されるといったらアニメくらいしかなかったんです。そこへファッションが注目されるきっかけになったのがFRUiTSだったと思います。

若い学生のイメージといえば、制服着て黙って先生の話聞くみたいな印象だったところから、型にハマらない自由な服を着てお洒落していることを知ってもらえたんです。

海外のデザイナーにも影響はあったと聞いています。

例えば、ある時、テレビを見ていたらカール・ラガーフェルドがインタビューを受けていて、原宿ファッションを知っていますか?という質問に

「もちろん知ってるよ!皆んな参考にしてて、デザインも参考にしているし、毎月ストリートスナップばっかり載ってる雑誌が出てて、皆んなそれ買ってるんだよ。」

って言っていたのも見たことがありました。

 

編集部:まさにFRUiTSですね!?

青木編集長 :カール・ラガーフェルドも知ってるのか、っていうのを目の当たりにした時は嬉しかったですね。

 

編集部:そんな大物デザイナーも注目していたくらい海外のファッションにも影響を与えたのは凄いですね!

青木編集長 :原宿の子達が凄いんです。僕はキャプチャーしていただけなので。

 

編集部:でも、キャプチャーしてくれた人がいたのはとても重要だったと思います。そこで、またお聞きしたいのですが、卵が先か鶏が先かという感じの質問で、FRUiTSがあったからこういったクリエイティブなファッションが広がっていったのか、既に沢山いてそれを一つずつ拾っていただけだったのか、青木さんは当時を振り返ってどっちだったと思われますか?

青木編集長 :僕のコンセプトとしては、あまりマーケットに影響を与えるつもりはなかったんです。ただ観察するだけで自然に進化していくのをキャプチャーしていくだけだと。でも、雑誌というメディアになったことで大きく広まり、加速していきましたね。海外で写真集も出ましたし。

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多分、FRUiTSがなければ、そういった (型にはまらずとにかく自由にファッションをするという) 動きは消えていった可能性はあると思います。誰かが価値をつけたことによって、価値のあるものなんだという認識も広まった。

ずっと記録していたので、今でも残ってますしね。

だから、今でも消えずに進化し続けていると思います。

 

編集部:それってメディアの果たす役割としては一番大事なことを成し遂げられたんじゃないでしょうか。そんなFRUiTSが一回休止したのは、何故だったんでしょうか?

青木編集長 :ファストファッションが入ってきて、同じような格好をする子達しか見ないようになったんです。ずっと1日中撮り続けても、一冊の本ができるほどスナップが集まらない。妥協して作るくらいなら一回やめた方がいいなと思ってやめました。

そうすると、海外からの反響が大きくて、BBCとかCNNとかが取材に来て何故辞めたのかを聞かれました。そんなにFRUiTSのファッションが期待されてたんだと思って意外でした。

 

編集部:そこからまたFRUiTSを復活させたいと思うようになったのは、何か変化があったんでしょうか?

青木編集長 :実は、コロナ前から復活させたいなと思っていました。VETEMENTSとかOFF-WHITEが出てきて、ちょっとファッションの流れが変わってきたんです。そして、海外の若い子達が沢山原宿に遊びに来ていて、その影響で日本の若い子達のファッションも動き出していたので、また復活させたいなと思っていました。そうするとコロナ禍になってしまいました。でも、若い子が2年間大人しくさせられてしまったので、うずうずしている子達はいるんじゃないかなと思ったんです。

原宿にいると、女の子たちのお洒落したいという欲求を感じます。そういった「マインド」がちょくちょく垣間見られるようになると、またキャプチャーしたいなと思うようになりました。

 

編集部:新たな動きへの予兆が見られてきたから、また原宿から盛り上げたいなと思ったということですね!?

青木編集長 :FRUiTSがキャプチャーしてきた原宿のファッションって自由なファッションなので、そういった自由でクリエイティブなファッションが生まれてくるのを期待しています。

特に、日本の女の子のファッション・クリエイティビティーって凄い!と感じていて、例えばそれは江戸時代からもあって、浮世絵見ていてもアバンギャルドな着物の着方していますし、そういった受け継がれた「クリエイティビティーの遺伝子」みたいなものを信じてる部分はあります。

 

編集部:クリエイティブなこととかって、何が本当にクリエイティブなのか?っていうことを知りたい若い子もいるんじゃないかと思っていて、90年代のFRUiTSに載ってるファッションを真似したり完コピすることでクリエイティブになった気になる人がいたら、FRUiTSが復活することでそこに一石を投じることになるのかなと思うのですが、その辺りはどのように感じられていますか?

青木編集長 :確かに。真似するだけだと、クリエイティブではないですね。そうではなく、また違った今までにないお洒落をしている子達がいるとしたら、そこに気付けるのがFRUiTSだと思っています。そこはちょっと頑張りたいですね。

誰かが「それ良いね!」って言ってあげないと消えてしまうファッションってあると思うので、そこのとっかかりというか、スタートのところを見極められる目利きでありたいなと思います。

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via FRUiTS

編集長 Eriko
編集長 Eriko
SNKRGIRL編集長。アメリカ在住15年を経て帰国後メディアを創設。ダンサー/DJとしても活動。好きなスニーカーは「Air Huarache」。

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