この詩を教科書で見たことがある方も多いのではないでしょうか?
わたしが一番きれいだったとき
わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした
わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった
わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった
わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った
わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた
わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった
わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった
だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
ね
(1958年『見えない配達夫』)
作者は、茨木のり子。1926(大正15)年~2006(平成18)年までを生きた日本の戦後を代表する詩人です。
私が茨木さんの詩と出会ったのは学生のとき。
初めて読んだときは、あまりにも言葉の持つパワーが大きく、一度本を閉じ、休憩を取る必要がありました。
戦後生まれの私は、情報でしか戦争を知ることができません。
話や映像でしか触れたことのない戦争。
穏やかな口調で、自分と同じような年齢の人の視点で書かれたこの詩に私は衝撃を受けました。
美しいときを奪われたことによる虚しさと、未来をしっかりと見据えるまなざしが、打ち明けられています。