外国でも見られる「男尊女卑」という考え方ですが、実は日本では戦国時代までは一概に女性の地位が低いとはいえなかったようです。
その後、特に戦国時代に定着したという説が多くみられます。
男児が生まれなければお家断絶・取り潰しとなってしまうため、「男児によるお家相続意識」がより色濃くなっていった時代から、江戸時代になると男性至上主義がさらに広まっていきました。
女性が勢力争いの道具として扱われ、結婚=人質となるといった社会的慣習ともいえる現象があった戦国時代から、江戸幕府の時代には「男女七歳にして席を同じゅうせず」とされるほどに浸透し、明治政府にまで男尊女卑の考え方は引き継がれていき、時代を経て徐々に薄まりつつ今に至ります。
1889年に発布され男性優位主義に基づいたものであった大日本帝国憲法(明治憲法)には、女性を「家の中の存在」と位置付けたもので、法律によって女性解放の動きは抑制され、女性の地位と権利が著しく低下していきます。
女性たちは男尊女卑の慣習だけでなく、明治憲法下の民法で規定された家父長制による家族制度である「「家制度」」により、男子・年長者優先で決められる「戸主」に家の支配・統率権は与えられ、女性は原則として家督相続権もありませんでした。
また「姦通罪」の対象は「夫のいる女性と密通相手の男性だけ」であり、妻ある男性が独身女性と姦通しても罪にならないなど、さまざまな点において男子優先・性別格差が、組織的・社会的に浸透していくこととなります。
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その後、女性参政権が与えられたのは1946年、男女雇用機会均等法が制定されたのは今からほんの35年程前のとなる1985年でした。
"1990年代中期に、日本社会はジェ ンダー平等とワークライフバランス社会への根本的な転換が求められていた" (伊藤公雄 "日本における ジェンダー平等を阻むもの")のですが、一説によるとそれは、多くの日本人男性にみられる「同調型集団主義」(伊藤公雄 同著)に阻まれ、なかなか実現することができませんでした。
今では社会的にも男女平等が当たり前の考え方になりつつあります。
しかしながら、世界的にみた日本の男女格差の現状はまだまだ低いレベルにあるようです。