「自分の感受性くらい」詩人・茨木のり子が紡ぐ現代人へのメッセージとは

「自分の感受性くらい」詩人・茨木のり子が紡ぐ現代人へのメッセージとは via VOGUE
「戦後現代詩の長女」とも呼ばれる詩人・茨木のり子。

彼女が書き綴った幾数篇もの詩たちは、今も私たち現代人の強い支えとなっています。

彼女の詩に支えられている、私(編集部メンバー)が特に印象深い作品と共にエピソードを辿ります。

「一番きれいだったとき」を過ごした戦争時代

この詩を教科書で見たことがある方も多いのではないでしょうか?

わたしが一番きれいだったとき

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

 

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達がたくさん死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

 

わたしが一番きれいだったとき
だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差しだけを残し皆発っていった

 

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

 

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり
卑屈な町をのし歩いた

 

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

 

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

 

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように

(1958年『見えない配達夫』)

 

作者は、茨木のり子。1926(大正15)年~2006(平成18)年までを生きた日本の戦後を代表する詩人です。

私が茨木さんの詩と出会ったのは学生のとき。

 

初めて読んだときは、あまりにも言葉の持つパワーが大きく、一度本を閉じ、休憩を取る必要がありました。

戦後生まれの私は、情報でしか戦争を知ることができません。

話や映像でしか触れたことのない戦争。

穏やかな口調で、自分と同じような年齢の人の視点で書かれたこの詩に私は衝撃を受けました。

美しいときを奪われたことによる虚しさと、未来をしっかりと見据えるまなざしが、打ち明けられています。

「自分の感受性くらい」自分を守るじぶん

自分の感受性くらい

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを
近親のせいにするな
なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

 

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

(1977年『自分の感受性くらい』)

この詩が創作されたのは48歳の時。しかし、この詩に込められた想いは彼女が小学生の時から抱いていたものでした。

「一遍の詩ができるまで、何十年もかかるってこともあるんです」と後にラジオで語っています。

 

柔らかくてすぐに風に吹かれて飛んでしまいそうな感受性を守れるのは自分だけ。

ある種、叱咤激励するようなことばで綴られたこの詩に何度助けられたか分かりません。

厳しくも暖かい言葉たちは、自分の可能性を信じなさいと鼓舞してくれているのです。

何十年も前に作られた詩は今も変わらず、現代に生きる私たちの背中を強く押し続けています。

 

皆さんも、ぜひ、道しるべを失いかけた時は彼女の詩を読んでみてください。

SNKRGIRL編集部
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神戸・東京・ニューヨークのメンバーと共にグローバルに活動するメディアチーム。

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