【JixieさんへインタビューVol.1】幼少期から成長し続けるスニーカーへの“好き”と彼女の原点に迫る

【JixieさんへインタビューVol.1】幼少期から成長し続けるスニーカーへの“好き”と彼女の原点に迫る

アメリカ・ニューヨーク在住の女性スニーカーコレクターである“Jixie”ことJasmineさんにインタビュー。

9歳から集め始めたという3000足以上におよぶコレクションや知識と情熱で、スニーカーシーンでも一目置かれる彼女。

スニーカーとの出会いや思い出、彼女の今を築いた原点、そして女性としてスニーカー業界で活躍する彼女の伝えたいことなど、女性としてスニーカーをこよなく愛する正真正銘の女性スニーカーコレクターにたっぷりとお話しをお聞きしました。

INDEX

常に溢れ出るスニーカーへの“愛”

コレクションは“知識”であり“情熱”

こんにちは。私の名前はJasmine (ジャスミン)です。友達にはJixie (ジクシー)と呼ばれています。

今ってみんな、“コレクター”って聞くとスニーカーとかを買って履かずに棚にいっぱい飾るみたいなイメージを持ってる人が多いと思う。

でも私にとって“集めること”って、車とか切手とか何にでも当てはまることだけど、自分が集めてる物について沢山の知識があることだと思う。

集めることに関しては理由があったりすると思うの。

そのものに対して情熱があってその情熱を注ぐイメージかな。

スニーカーへの“好き”は増すばかり

だから、スニーカーは私が成長する中でとても大きな存在だった。

周りからは大人になるにつれて飽きてくるだろうって言われたけど、結局私の気持ちは止まらなかった。

私にとってスニーカーはどんどん好きな気持ちが増していくものだったの。

周りの人たちと話するときに何時間でも何日でもずっとスニーカーの話し続けられる感じが出ちゃうから、みんな「あぁ、この子は本当にスニーカーが大好きなんだ」って。

だから、家から出て外に出かけると誰も見たことがないスニーカーを履いてたりすることで有名になってたりしてた。

地元NY内であっても、ブルックリンでは見ないスニーカーをわざわざアップタウンまで買いに行ったり。その逆も然り。

だから、みんな私がめちゃくちゃイカしたスニーカーをいつも履いてることで覚えてくれてたりした。

“自信”や“活力”をくれるスニーカーの存在

そう、だから私(スニーカー以外の)靴って履かないんだよね。

履きたい気持ちはあるんだけど、靴を見て素敵だなとは思うものの、実際に手に取ったこともないしなかなか履くこともない。

私(スニーカー以外のタイプの)靴を履くとすぐこけそうに見えて、本当に似合わないの。だから履こうともしてこなかった。

スニーカーは快適な履き心地だし、履いてる自分の雰囲気も好き。

スニーカーが自分に力をくれてる気分になる。

快適に履ける時、“活力”みたいなものが増える気がする。

自信も出てくるしね。イカしたスニーカーを履いてる時はさらに自信がみなぎる感じ。

だから、なんで他の靴を履きたいの?って感じになる。

スニーカーを履いてどこへだって行ける

昔クラブに行っていた時にも、スニーカーで入れてもらうためにセキュリティーにお金を渡してた。

友達に「あんたそんな靴じゃ絶対入れないよ!」って言われるんだけど、私は「まあ見てて、絶対入れるから!」って言って。どんなクラブにもスニーカーで入ってた。

私がスニーカー履いてる時、この世でスニーカー履いて入れない場所はないよ!

スニーカーを好きになったきっかけ

スニーカーの最初の思い出

私の最初の思い出といえば、うちのママに頼んだ話で、大好きな話だから何回も話してるんだけど、いつ話しても新鮮なの。

私が6歳くらいの頃、学校にいた女の子で、実際にはインスタグラムで...その頃はフェイスブックだ。フェイスブックで見つけた女の子だったんだけど、

その子と1年生の時同じ学校で、太陽みたいなロゴが付いているスニーカーを履いてたの。

そのスニーカーを履いてたのを見て私も欲しい!って思った。彼女は白いスニーカーを履いてた。

家に帰って「私もお日様のついた白いスニーカーが欲しい」ってママに言った。

そしたらママが「サイドに?」って言ったから、私は「そう」って返事をした。

ママはすぐにそのスニーカーが何か分かったみたい。そのブランドは「ellesse (エレッセ)」だった。

母から受けた最初の“レッスン”

オレンジとイエローのロゴがついていて、私は白のエレッセのスニーカーが欲しかったの。

でもママが買ってきてくれたのはお日様のロゴがついた黒のスニーカーだった。私は凄く残念で「なんで白じゃないの?」って言って聞いた。

それが最初の“レッスン”だったのかも。

ママは「冬は白のスニーカーは履かないものなの」って。

それで私が「なんで?」って聞いたら、「汚くなるから、白は夏に履くものなんだよ。」って教えてくれた。

それが最初のスニーカーヘッドとしてのレッスンだったね。

初めてお日様のロゴが付いたスニーカーを見て、それを早く言いたくて学校から帰るまでのワクワク感は絶対に忘れない。

私はプエルトリカンだから、Eを強く読むの。

だから「(エレッセのことを)“エ”レシー」って発音してた。大人になったら正しい読み方も分かったけど、そう読んでた。

「ママ、お日様のスニーカーが欲しい」「“エ”レシー?“エ”レシーが欲しいの?」みたいに。それが最初の思い出だね。

原点は両親、家族

幼少期の思い出

子供の時の思い出はたくさんある。

エレッセの他には、ピンクと紫のVans (バンズ)が欲しかった。9歳くらいの頃だったかな。私は絶対それが欲しいって思ってた。

今となってはなんでそのバンズがそんなに欲しかったのかは覚えてないけど、ママは色んなReebok (リーボック)とかNike (ナイキ)のAir Max (エアマックス)とかをくれた中でも、絶対にそのVansが欲しかったんだよね。

幼い時から色んなブランドが好きだった。

リーボックが好きだったり、バンズが好きだったり、エレッセが好きだったり。

スニーカーのことになるといつも落ち着きがなくてじっとしてることができなかったかもね。

唯一の自己表現の手段だった

私はいつも周りと被らないスニーカーを見ていて、他では見ないスニーカーに関心が多かった。

それは今でも続いてて、その理由の1つは制服のある学校に行ってたからかも。

スニーカー以外で自分のスタイルを表現できなかったから。

他と被らず目立つためには、スニーカーが唯一の手段だった。

どうしても自分らしさを伝えたくて、子どもながらに足元にこだわったの。

そのスニーカーへの気持ちやこだわりが成長とともにさらに大きくなっていって、たくさんコレクションするまでになった。

スニーカーに関するストーリーがたくさんあるし、スニーカーというものととても個人的で特別な関係を持つようになったの。

父とスニーカーを見に行くのが恒例

父と私はよく週末一緒に出かけてた。土曜日の朝、父と一緒に出かけて、父は整備工場に行って、車を修理してた。

私は父が車で遊んでるとよく言ってた。父はいつも祖父のガレージに寄って、それから私をアベニューに連れて行ってくれた。

それから何かを食べに行ったり、スニーカーを買ったりした。それがお決まりのコースでルーティーンになってたの。

当時、私はスニーカーを分割払いで購入してたんだよね。

スニーカーにお金を頭金として支払って、期限までに徐々に支払いを行うのが普通だった。

だから毎回支払う度に、次の週に別のスニーカーを分割払いにして、また次の支払いを持って行ってた。

それで父は「そうだ、それを手に入れるためには働くべきだ。」って言って私に雑用をさせたりしてた。

全ては欲しいスニーカーのためだったね。

子どもの頃から見ていた父のこだわり

父自身、adidas (アディダス)のスニーカーをたくさん持ってた。

父はファットシューレース(太い靴ひも)が好きだった。だからアディダスとかPuma (プーマ)を持ってたね。

あまり知られていないことだけど、「太い靴紐」ってアディダスとセットっていうものではなかったの。

ファットシューレースはアディダスから始まったものではないの。

プーマには太い靴紐がついていたから、プーマからその靴紐を取り外して、アディダスに取り付けて太い靴ひもにしていたんだよ。

私は父の靴紐で遊ぶのが好きだった。父の靴紐は本当に太くて、最低でも1 1/2インチ(約4cm)ぐらいあったような靴ひもを持ってたね。

他では見たことないくらいもう本当に太かったんだよ!子どもなりにそれはすごく覚えてる。

尊敬する父の足元

父の足元/スニーカーを尊敬していたの。私はよく父の足元を見てた。

父は店でスニーカーを試着するときにファイトポーズをとってた。

ただそうやってスニーカーを試着するのが好きだからだと思ってたから、後でそれがなんでか聞いてみたことがあったんだけど、

父は、もし戦わないといけないことがあったり、街中で誰かと喧嘩することになったりしたら、いつでも準備ができてないといけない、だから履きやすくないといけないんだって言ってた。

スニーカーが快適でなかったら、戦いに負けるんじゃないかって考えてたみたい。

だから、彼は店で跳ね回ってた。本当に面白かったから今でも覚えてる。

それから、父は足のことを犬/相棒(dogs/dawgs)みたいに呼んでたの。「おい犬/相棒よ、お前の犬/相棒にこれ履かせとけ」みたいな風に。

私は「犬/相棒って何?」と思ってたら、足の話だった。

全ては家族・家庭が始まり

私のスニーカーに関する思い出は、私の家から始まったもので、私の家族から始まったものだった。

今、私の甥っ子はスニーカーに夢中なんだけど、私と一緒にいる時間はそれほど長くないから「あなたのせいよ」って私に言うには足りてない。

私ではなくて、私の父とよく一緒にいる。だから、それって父のせいでしょ?

それが父の影響なんだって証明してる。私じゃなくて父の影響だよね。

私の甥っ子はスニーカーに取り憑かれたみたいに夢中なの。私の兄弟もそうだけど、彼らは面白いセンスなんだよね。私とは違う趣味を持ってるみたい。

スニーカー好きの原点

私の場合は、幼い頃から両親がスニーカーが凄く好きで、洋服も凄く素敵でオシャレに着るのを見て育ったところに原点があると思ってる。

私は80年代に育ったの。80年代ってとにかくオシャレで格好良くあることが大事な時代だったのと、ヒップホップが生まれた時代でもある。

だから、ヒップホップがどんどん広がっていって、ヒップホップのファッションも広く浸透していった時期でもあるね。服とかスニーカーとかジュエリーとか。

両親のスタイルから学んだ

私の母はダンサーで、私の父はDJだった。

だから父は70年代にはディスコをかけてたの。ハッスル(70年代を代表するディスコサウンドとそのサウンドで踊るペアダンス)やダンスをしてた。

私の母はダンサーとしてストリートで踊ったり、ダンスが本当に好きだった。

母はハッスルも踊れたし、ポップもできるし、母はまさにオールラウンドな人で本物のBガールだったし、フリースタイル(というダンスのジャンル)でも踊ってた。

だから、いつも母は踊れる良いスニーカーを求めてたの。

父も母も2人とも、異なる理由でスニーカーに触れていて異なるスタイルを持ってたね。

だから、私は父と母のスタイルを見て、どうやってスニーカーを毎日の生活に取り入れるかを学んだんだと思う。

鍵付きのクローゼットで保管

そういうこともあって、私は“やばい”スニーカーヘッズになっちゃったの。

10歳くらいの頃、私はスニーカーの箱がたくさんあるのを思い浮かべては、もっと欲しい、もっと必要だ!って言ってた。

子供の頃は、持ってたスニーカーを鍵付きのクローゼットに入れてたの。

だれにも私のスニーカーに指一本触れられたくなかったから。

家には従兄弟とか母の友達だったり、兄、彼の友達、たくさんの人が出入りしてて、いつも周りに人がいた。

私はいつも誰かが私のスニーカーを取ったり履いたりするんじゃないかって警戒してた。

誰かがそれを一度履いてみて脱いで元に戻すんじゃないかって心配したり。

だから、私はスニーカーを鍵で施錠できるクローゼットに入れることにしたの。

だって父が「そんな警戒するなら鍵でもかけとけ!」って言ったから、私も「はい!そうします!」って。

父は素晴らしいアイデアをくれたね。

だから、何年もの間、私はスニーカーのための鍵付きクローゼットを持ってたの。10代くらいまでかな。

その後コレクションがあまりにも多くなりすぎて、もう施錠できないくらいにまで増えた。

だから、今は家にスニーカーを置いてるし、スニーカーを置くための倉庫を借りたりもしてる。

母の家にも、父の家にも私のスニーカーがあるの。

だから、どこにでもあちこちに私のスニーカーがあるってことだね。

まさに“自分自身”とも言えるコレクション

コレクションは自分の歴史であり軌跡

まだたくさんのスニーカーを持ってる。それは私の歴史であり、私のアーカイブ(軌跡)なの。

私のコレクションは、ただ私のアーカイブとして残したいっていうのもあるし、オンラインで見ることができないかもしれないからっていうのもあるかも。

だから、オンライン上でも存在しないスニーカーもいくつか持ってる。

それについての記事を見たことがないし、そのモデルについての情報も何もないもの。

だから、将来のどこかで、そのスニーカーを展示できたり、何かしらできるように、私はそういうスニーカーをきっちりメンテナンスし続けてる。

実際、82年製のリーボックフリースタイルハイのオリジナルペアを持っていて、それが一度博物館に展示されたこともあるよ。

私はスニーカーをすごく良い状態で持っていることもあるから、ブランド側が展示のために彼らでさえ持っていないスニーカーを借りに来るっていう出来事もあったくらい。

だから私とブランドの関係は、彼らに私のコレクションのために来てスニーカーを貸したりっていうこともあった。

最近の悩みの種は靴の劣化

たくさんスニーカーを持ってるんだけど、昔の古いスニーカーは多くが劣化しちゃってる。

多くの古いスニーカーの状態が悪化していってて、そのことを考えると今にも気が狂いそうだよ。

それが私の最新の悩みかな。でも90年代初頭のものとか、80年代のものも今でもたくさん持ってる。

これらのスニーカーについては、温度管理に気をつけて、本当に丁寧なお手入れを心がけてる。

レザーを少しでも長く保てて良いツヤが出るようにココナッツオイルを塗って手入れしてるよ。

レザーの手入れには特に気を遣ってる。本当に丁寧に管理してるけど、難しいなと思う。

スニーカーが壊れることは今だにショック

私はウィメンズの“作品”をコレクションできることをいつも誇りに思ってる。

だから歴史的なウィメンズの作品も持ってるし、それを手元に置いておこうって必死に思ってる。

ただどんなに大切にしてても、左足も右足も壊れちゃうんだよね。実際に履いてみると、パラパラ部分的にソールが取れちゃうの。

ソールは爆発したりするし。この夏も、スニーカーが3足も爆発しちゃって、もう本当に悲しい。気が滅入っちゃうよ。

しかも足に履いている最中にも壊れちゃうことだってある。そのまま爆発しちゃうんだろうね。何が起こったんだろうって思うほど。

私にとっては、スニーカーが壊れること自体は恥ずかしいと感じるものではないんだけど、私にとってあまりにも貴重で大切なものだから、気が滅入っちゃうの。

「ああ、ついにこれが壊れてしまう日が来てしまったんだ。」ってストレスを感じる。

先週末にもそれが起こってしまって...今だに壊れたことを乗り越えてない...。

Nike-Blazer-SB-Iridescent-W-Product ナイキ SB ブレーザー スニーカー via StockX

先週末は、Nike SBのBlazer Iridescent を履いてた。2011年に発売されたもの。

まだ5回くらいしか履いてないかな。もしそのスニーカーを見てもらったら分かると思うんだけど、外からみたら真っ白でピカピカなんだよね。

だから何の問題もないと思ってたんだけど、ソール全体がキレイに丸ごと取れちゃったの。

たぶんこれは旅行前にきれいに掃除したことが原因だと思う。

靴をきれいにしたときに、湿気が中に入り込んでしまって、それが分離を進めちゃったのかな。

でも、まだ見た目としては綺麗に輝いているから修復してもらう予定。

これ(Nike SB Blazer “Iridescent”)は本当に素晴らしいよ。私は本当にただただ大好き。

これが発売された2011年は、女性のためのスニーカーが作られ始めた時期でもあって、

シティパックとかファッションウィークのスニーカーとか、いろんなスニーカーが女性のために作られた素晴らしい年だった。

“女性”としてスニーカーシーンで存在を証明すること

スニーカーシーンにおける女性の立場

「女性のために作り始めたのは最近だ」というのは大きな誤解があると思う。

実際にはもっと前から、長い間、女性向けのアイテムはこれまでも作られてきてた。

ただそれに対する露出が少なかったことや男性が業界を支配しているという事実から、当時はそれが前面に出ていなかったんだと思う。

でも、今ではそれが見える形で表に出てきているから、当時とは少し違って見えるだけ。

私たちはこれまでも同じ建物・コミュニティの中にいた。

これは私がいつも伝えたいことの一つでもあるんだけど、私の物語とスニーカーカルチャーにおいて、別に今始まったことではなくずっと前からあったってこと。

実際には、私たち女性も一緒にスニーカーを収集し、男性たちと同じように激しいペースで同じくらいの強い気持ちで、同じ希少なスニーカーを収集してきた。

女性としてずっと“ここ”にいたことの証明

私のコレクションはその証明であり、まさに「私たちはここにいて、私たちは自分たちのために創造してきた」と物語るものでもある。

ただ、私たち全員が表に立つための機会や特権もなかっただけ。

なんでかって言うと、それは本当に難しいことだったから。

特に私の場合、男性サイズのスニーカーを履いているから、男性の影から抜け出すのは本当に難しいことだった。

だから私は男の子たちと一緒にプレイするし、同じコレクションで競い合うライバルでもある。

でも私のコレクションにはウィメンズアイテムもあるし、メンズアイテムもある。

だからこそ、私のコレクションは男の子たちと同じところでやり合って来たことの証明でもあるの。

“本物”の女性たちがいる

たくさんの人に「あなたは珍しいよね」って言われることもあるけど、私のような女性はたくさんいると思う。

同じようなストーリーを持ってまだスニーカーに没頭しているけど、彼女たちも同じように自分のストーリーを話す機会があまりなくて、共有することができない人たちがたくさんいる。

私が知っている女性でもそういう人がいると思う。

私はスニーカーに対して情熱や歴史を持っている“本物”の女性たちを知ってるし、繋がりも作ってきた。

今では本当にたくさんの女性が、自分たちが愛してやまない素晴らしい壮大なコレクションを持ってる。

例えば、ある女性に会ったことがあるんだけど、彼女はConverseを持っていて、500足、600足以上のConverseだけのコレクションを持ってるの。

もうすべてのコラボやすべての色が揃ってた。

よく「あなたが見た中で最高のコレクションは何ですか?」って聞かれるけど、それは私が見た中でも最高のコレクションの1つ。

なぜなら、それがとても厳選されたもので、ニッチなものだったから。同じテーマ、同じブランドの厳選されたコレクションだったから。

Converseのこれまでのタイムラインが最初から最後まで見えて、本当に圧巻のコレクションだった。

だから、他の人々のコレクションにもすごく興味があるの。

「何が“良いコレクション”を作るのか」そういうことも考えさせてくれるから。

 

続きはこちら>>Jixieさんへインタビュー Vol.2

SNKRGIRL編集部
SNKRGIRL編集部
神戸・東京・ニューヨークのメンバーと共にグローバルに活動する編集部メディアチーム。

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