Marjory & Sneaker|伝説の女性ダンサー「マージョーリー」とスニーカーがもたらした影響

Marjory & Sneaker|伝説の女性ダンサー「マージョーリー」とスニーカーがもたらした影響 photo by Little Shao via @jefreedom1

2025年の「International Women's Day|国際女性デー」特別企画は、世界的に有名な伝説の女性ダンサー「Marjory Smarth (マージョリー・スマース)」についての特集!

ハウスダンス界で最も影響力のある女性ダンサーとして多くの人に愛されリスペクトされてきたマージョリーは、SNKRGIRL創設にとっても重要人物でもあります。

そんなマージョリーのレガシーとスニーカーへの愛についてご紹介いたします。

Marjory Smarth Main Image photo by Mansureh Tahavori | Marjory Smarth (1969-2015)

マージョリーとスニーカー|Marjory & Sneakers

Marjory Smarth (以下マージョリー)は、ハイチ生まれニューヨーク育ちのストリートダンサーであり、ダンス講師であり、コミュニティリーダーでもありました。

2015年に若くして乳がんで亡くなりましたが、彼女が残した功績は今でも生き続けています。

そんなマージョリーは、SNKRGIRLが創設されるに至るのにも大きく影響を与えるほどのスニーカー好きであり、コレクターでした。

スニーカーを愛し、ダンスを愛したマージョリーとスニーカーについてご紹介します。

marjory sneakers blue styling photo by Little Shao via @jefreedom1

スニーカーコレクターとしてのマージョリーコレクション

「マージョリーが何足持っていたのか?」を、元旦那様にいつ聞いても「そんなの分からないよ」という、スニーカーコレクターあるあるな回答にも納得がいくほど、とにかくたくさんのスニーカーを所有していたマージョリー。

その種類も豊富で、Nikeはもちろん、Asics、Converse、Adidas, Supergaまでブランドもモデルも多岐に渡り、カラーリングやスタイルも様々です。

マージョリーの旦那様だった方に撮影していただいた彼女のスニーカーコレクションの一部がこちら:

Marjory's Sneaker Collection1

Marjory's Sneaker Collection2

Marjory's Sneaker Collection3

 Marjory's Sneaker Collection4

Marjory's Sneaker Collection5

Marjory's Sneaker Collection6

マージョリーのダンスシューズとしてもよく見かけた Air Max 90

マージョリーのレッスンでよく見かけていたのが「Nike Air Max 90」。レッスンのみでなく、ダンスパフォーマンスやクラブでもよく履いていました。

ほぼつま先立ちといっていいほど、つま先を使ったステップの踏み方やダンスムーブにとても合っているとマージョリー自身も語っていた彼女のエアマックス90コレクションは、OGカラーやネオンをはじめ、レッドやブルーなど明るいカラーウェイも多く、またGSでも構わず好きな色を見つけたら即買っていたといいます。

マージョリーといえばエアマックス!そんな印象が今でも鮮やかに残っています。

ウェディングフォトで履いた Air max 90 London Underground Roundel

marj&jef _ Air max 90 London Underground Roundel_2 photo by Christina Cousins via @jefreedom1

マージョリーにとってスニーカーがとても大事な存在だったことを象徴しているかのような一足があります。

彼女にとっても特別だった愛する旦那様とのウェディングフォトで履いたのが、お揃いの「Nike Air max 90 London Underground Roundel」。

Nike Air max 90 London Underground Roundel

カラーウェイや素材使いなども含めデザインのすべてが、マージョリーの愛に溢れた幸せな気持ちと、彼女のファッションセンス、そしてダンスキャリアや仲間との絆など、彼女の人生とそのストーリーを表現しているような相性が、とても象徴的な一足といえます。

photo by Christina Cousins via @jefreedom1

マージョリーの足元は軽やかで華やか

マージョリーのコレクションで印象的なのが、そのカラーバリエーション。

何色が好きという傾向がつかめないくらい、様々な色のスニーカーを履いていました。とはいえ、赤、ブラッドオレンジ、ターコイズ、といった熱いハイチの気候を想起させるような、情熱的な色が多いです。

 

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また、総ドット柄、幾何学模様、たくさんの色が織り混ざったマルチカラーのWoven (ウーブン)デザインなど、存在感溢れるアーティスティックでユニークなデザインが。マージョリーの足元を彩っていました。

モデルとしては、元はランニングシューズからライフスタイルシューズになったような動きやすいもので、Nike Roshe、Nike Air Huarache、Asics GEL LYTE IIIなどが印象的です。とはいえ、Converse AllstarやAdidasのRod Laverなどから、Air Jordan 3まで、違った型もあり、Eclectic (=エクレクティック:多種多様なものを選ぶ)なコレクションといえます。

総じていえるのは、彼女の圧倒的なオーラと存在感とに負けないスニーカーばかり。

マージョリーの魅力を引き立てるのに、スニーカーはとても重要なアイテムであったといえます。

 

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女性ならではのスニーカースタイリング

photo by Little Shao via @jefreedom1

マージョーリーのスニーカー・スタイリングは、とてもカラフルで、時にキュートで、時にフェミニンで、時にメンズライクで、スニーカーコレクション同様、多種多様な装いが素敵でした。

そしてなにより、「女性としてのファッションを楽しむフィーリング」に溢れています!

トップスやスカートやスカーフやヘッドラップなどとスニーカーとの色合わせ、スニーカーが主役になる際立たせ方など、ファッションリーダーとしても知られていたマージョリーのスニーカーコーディネートは、女性としてスニーカーを愛する人にとってお手本にしたいものばかり。

そんな彼女のスタイリングに、多くの女性が憧れていました。

 

Marjory in overall styling photo by Little Shao/Marjory & Tony McGregor (Dance Fusion)
via @ hiphopdancenorway
Marjory from the Week in Italy photo from "the Week", Italy
photo via @jefreedom1

マージョリーがSNKRGIRLに与えた影響

ニューヨークのストリートやクラブシーンで活躍したマージョリー・スマースは、スニーカーを単なるファッションではなく、自己表現の手段として楽しんでいました。彼女の生き方やスタイルは、SNKRGIRL誕生の大きな原動力となり、女性がスニーカーを楽しむ可能性を広げるきっかけとなりました。

女性がスニーカーを楽しむということ

スニーカーを女性もコレクションする文化は、日本ではまだ成長過程にあります。しかし、女性の存在感がスニーカーカルチャーの中で広く受け入れられるようになったのは、ごく最近のことです。

そんな男性中心のスニーカーカルチャーにおいて、マージョリー・スマースはまさにパイオニア的な存在でした。

  • 女性が、女性としてスニーカーをコレクションすること
  • 女性が、自分らしいスタイリングでスニーカーを楽しむこと
  • 男性にも引けを取らない知識とコレクションを誇ること

彼女は、それらをごく自然に、そして誰よりも格好良く体現していました。ダンサーとしてだけでなく、スニーカーコレクターとしてもリスペクトされ、その知識、コレクション、スタイリングにおいても、一流の目を持つ人々を唸らせる存在でした。

その姿に衝撃を受けたのが、のちにSNKRGIRLを立ち上げることとなる編集長のErikoでした。

「こんなにも格好良い女性がいるなんて!」
「女性がスニーカーを楽しむことって、こんなにクールなんだ!」

そんな憧れと衝撃を胸に、15年にわたるアメリカ生活を終え、日本へ帰国。

しかし、日本のメディアや情報サイトの多くが、男性目線の発信に偏っていることに気づきます。そこに疑問と違和感、そして苛立ちを覚えました。

「女性だってスニーカーが好きで、あちこち探し、深く掘り下げ、熱狂的に愛していることを知ってほしい。」

その想いと、スニーカーを愛する女性たちが置かれている現状のギャップを埋めるために生まれたのが、SNKRGIRLでした。

しかし、このメディアを立ち上げることができたのは、マージョリーの姿があったからです。彼女のスニーカーへの向き合い方を知り、そしてニューヨークの女性たちがスニーカーとファッションを自由に楽しむ姿に圧倒され、「個」としてのスタイルを確立することの美しさを肌で感じたからこそ、自分自身の表現の幅が広がり、エンパワーメントにつながったのです。

マージョリーとスニーカーがもたらした“エンパワーメント”

それまで、スニーカーコレクションは「男性がするもの」という認識が強く、女性が同じようにスニーカーをコレクトし、こだわりを持って選び、自分なりのスタイルで楽しむことは、まだ当たり前ではありませんでした。

しかし、マージョリーはそんな固定観念を軽々と超えていました。
彼女は、自分の感性でスニーカーを選び、自由にスタイリングし、堂々と履くことで、**「スニーカーは誰のものでもなく、自分を表現するためのもの」**という姿勢を体現していました。

ファッションにおけるジェンダーの枠を超え、女性もスニーカーを履き、選び、語ることができる——彼女の存在は、それを証明していました。

そんなマージョリーの影響を受け、Eriko自身も「スニーカーは単なるファッションアイテムではなく、自分の価値観を表現するツールになり得る」と気づきます。
そして、スニーカーが「個性」や「自信」を引き出す力を持っていることを、もっと多くの女性に伝えたいと思うようになったのです。

もし、スニーカーを愛するマージョリーの姿を見ていなかったら、日本のスニーカーカルチャーの中で「女性のための場を作ろう」と思うこともなかったでしょう。

それほど、彼女の存在は強く、美しく、その影響力は計り知れません。

未来へつなぐメッセージ

かつて、男性が中心となって支えていたスニーカー文化。マーケットの90%が男性購買層と言われたスニーカー業界も、今では女性の認知と購買が広がり、女性ファッションにおいてもスニーカーが「メインアイテム」として確立されつつあります。

しかし、世界的なスニーカーカルチャーの中で、日本の女性とスニーカーの関係にはまだまだ“埋めるべきギャップ”があり、伝えたいことは尽きません。

SNKRGIRLは、メディアとして、プラットフォームとして、コミュニティとして、これからも成長し続けます。

そして、その根底には、創設のインスピレーションとなった偉大な女性、マージョリー・スマースの存在があります。

2025年は、彼女の没後10年の節目。
この国際女性デーと国際女性史月間を、彼女を讃え、感謝する機会としたいと思います。

彼女の魅力が、少しでも皆さまに伝われば幸いです。

マージョリーについて|About Marjoy Smarth

photo by Little Shao via @jefreedom1

Marjory Smarth (マージョリー・スマース)は、ハイチで生まれニューヨーク育ち。

幼少期にニューヨーク市へ移住した後、当時のニューヨークで起こっていた様々なムーブメントの中で多感な思春期を過ごし、その後世界中のストリートダンサーに影響を与えるまでになった伝説的な女性ダンサーです。

彼女が本格的にダンスに取り組み始めたのは4歳の頃。彼女の家庭は、日常的にダンスと音楽にあふれており、彼女自身も言葉を話せるようになる前から自然と踊っていたといいます。4歳のとき、姉のジョージー(Josie)の中学校のダンスイベントで初めてサイファーに参加。姉が「マージョリー、踊る?」と声をかけたことで場が和み、彼女は本能的に踊り始めたそう。

その後、小学校や高校ではショーや舞台に立ち続け、思春期になると「("テストステロン・サークル"と彼女が揶揄する)男性中心のダンスサークルを崩すため」といって、地域のダンスサイファーに入り込むようになります。

「彼らのことは大好き。でも、女性がいることも伝えなきゃいけなかったし、私の視点を示したかった。彼らには、それを受け入れてもらわないとね」と彼女は語っています。

ティーンエイジャー時代には、長年の友人であるイージョー・ウィルソン(Ejoe Wilson)とともに、週末を通して踊り明かす"ダンスマラソン"を行っていたそうです。金曜日から月曜日の朝まで、マンハッタンを歩き回り、ブロンクスやダウンタウンへ向かい、道中でダンス好きな仲間を加え、次々とストリートジャムやバトルに参加。「一瞬で場をかっさらって、それから次のジャムへ進む!」というスタイルで踊り続けたのだとか。

マージョリーはその後ノートルダム高校を卒業。ニューヨークのファッション工科大学(Fashion Institute of Technology)へ進学します。17歳でクラブシーンに足を踏み入れ、当時のクラブ文化を牽引していた世代と交流するようになりました。「私たちはクラブの中でかなりワイルドだったけど、アーチー・バーネット(Archie Burnett)やウィリー・ニンジャ(Willi Ninja)が温かく迎え入れてくれて、そんな人たちからクラブのエチケットを学んだの。バーバラ・タッカー(Barbara Tucker:大御所ハウスシンガー)とは、一目見てお互いを理解したわ。トンネル(The Tunnelというクラブ)で一緒に踊った瞬間、“あの人、私のこと絶対分かってる!”って思ったの」

そうしてストリートやクラブといった、ニューヨークのリアルなダンスカルチャーの中で育ったマージョリーは、その後ダンサーとして独立し、当時のNYダンスシーンでは先駆者ともいえる「プロのストリートダンサー」として、ミュージックビデオやパフォーマンス、ダンスレッスンなどで生計を立てるようにもなっていました。

17歳の頃にはヒップホップデュオ「Super C & Cassanova Rud」のミュージックビデオに出演し、プロとしてのキャリアをスタート。その後も30年以上にわたり、ダンサーとして活動を続け、ダイアナ・ロス(Diana Ross)、ヘヴィ・D(Heavy D)、シーシー・ペニストン(CeCe Peniston)など数多くのアーティストと共演した。映画や舞台にも出演し、ジャコブズ・ピロー(Jacob's Pillow)のような名門劇場での公演も経験。彼女のキャリアの中で、『ニュー・ジャック・シティ(New Jack City)』、『ブーメラン(Boomerang)』、『ストリクトリー・ビジネス(Strictly Business)』といった映画や、ハウスダンスのドキュメンタリー『Check Your Body at the Door』、PBSのドキュメンタリー『House of Tres』など、数多くの作品に登場しています。

そして、ダンスレッスンをすることにも早くから携わり、1994年までには海外でも活動するように。南極大陸を除くすべての大陸で指導を行ったというほど、世界各地でレッスンを繰り広げてきました。その結果、マージョリーはハウスダンスの分野で最も尊敬される女性ダンサーとして、世界中のダンサーに影響を与える存在となりました。

「私はただ"入り口"を開いているだけ。あとは彼ら彼女ら自身が、自分なりの表現を見つけていくものよ」と彼女は語ります。

彼女のダンスに対するフィロソフィー(=哲学)は、単なる動きを習得するだけではなく、自己表現やダンスフロアでの人々とのつながり、そして人生を最大限に楽しむことにありました。

彼女はいつも最高の笑顔を浮かべ、誰に対しても優しい言葉をかける存在でした。

「彼女は愛そのもの、そして光そのものだった」

と、彼女を愛した多くの人々は語り継ぎます。

世界的に有名なDJ Spinna(DJスピナ)は、彼女の影響力についてこう述べています。

「DJはしばしば、ダンスフロアのエネルギーを高め、感情を解き放つ役割を果たすと称賛されるけれど(それが本当に良いDJの仕事だからね)、俺にとってはダンサーこそが、そのエネルギーをくれる存在だった。マージョリーが会場にいると分かった瞬間、それだけで“今日は最高の夜になる”と確信できたんだ。彼女の動きには力強さがあり、俺を奮い立たせた。彼女はダンスフロアの上で、涙を流しながら、全身から汗を滴らせながら、何度も何度も、熱狂的なダンスを見せてくれた。それこそがDJにとっての原動力だったし、彼女は常に“ありがとう”と感謝を伝えてくれた」

マージョリーは、ダンサー、振付師、講師、そしてストリートダンス界における文化的リーダーとして、ヒップホップやハウスダンスの文化を世界中に広めたパイオニアでした。また、世界的に著名なダンサー、振付師、そしてインスピレーショナル・スピーカーとして活躍し、多くの人々に影響を与えました。

2015年、46歳の若さでこの世を去るまでに、彼女はアメリカ国内のみならず、日本、ロンドン、アフリカ、ロシア、イタリア、オーストリア、ブラジル、カナダ、台湾など、世界中のあらゆる場所で知識と情熱を共有しています。

Marjory in Brazil photo by @littleshao / via @jefreedom
*Big thanks to Jefree for sharing the photos and stories of Marjory. Live True Dance Free!
SNKRGIRL編集部
SNKRGIRL編集部
神戸・東京・ニューヨークのメンバーと共にグローバルに活動する編集部メディアチーム。

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