【Queens of Sole 特別版 | 高見 薫さん】 EP.1 スニーカー業界で女性として働く奮闘や90年代のスニーカーブームを辿る

【Queens of Sole 特別版 | 高見 薫さん】 EP.1 スニーカー業界で女性として働く奮闘や90年代のスニーカーブームを辿る

かつてNike Japan (ナイキジャパン)の営業担当として活躍し、新たなモデルの開発やNikeショップの立ち上げなどさまざまなプロジェクトに携わってきた伝説の仕掛け人「高見 薫(たかみ かおる)」さんの単独インタビュー。

スニーカーに人生を捧げたともいえる高見さんのキャリアや90年代のスニーカーブームにまつわる様々なエピソードをご紹介します。

EP. 1は、スニーカー業界で女性として働く奮闘記!

INDEX

ゲスト:高見 薫さん
インタビュアー:壺阪 英莉子 (SNKRGIRL編集長)

スニーカー業界との出会い

当時は“スニーカー業界”という言葉がなかった

今ではスニーカーはストリートシーンで必要不可欠なファッションアイテム。

しかし高見さんがスニーカー業界に足を踏み入れた当時、“スニーカー業界”という言葉はなかったといいます。

当時、“スニーカー業界”というと海外から買い付けたものを並行輸入という形で販売する店のことを指し、今のようにスニーカーブランドやスポーツメーカーが“スニーカー”をひとつのジャンルとして展開することはほとんど見られなかったとか。

ファッションの一部としてスニーカーを取り入れるという感覚も根付いておらず、実際に高見さんが配属された部署もスニーカーを商品のひとつとして取り扱う“スポーツ事業”の一部門という位置付けでした。

時代を先読み!?「スポーツカジュアル」の世界へ

高見さんが“スニーカー業界”でキャリアをスタートさせたのが「Nike(ナイキ)」。

大学生の頃、バブル期で若者がスーツやブランド服を纏うなか、幼い頃からカジュアルアパレルの仕事をするお父様の影響もあり、「あれは疲れるからこれからはカジュアルアパレルが主流になってくるだろう」と考えた高見さん。

カジュアルアパレルのなかでも“スポーツカジュアル”に焦点を当て、当時その中でも1番魅力を感じた「Nike」に1991年に新卒として入社されました。

“アメカジ”が流行っていたなかで、そのトレンドを敏感にキャッチして旬のスタイルに合わせられる商品を展開していたNikeを直感的に“カッコイイ”と感じたといいます。

女性としてスニーカー業界で働く

社内でも社外でもジェンダーの壁にぶつかった

Nikeへの就職をきっかけにスニーカー業界で働くことになった高見さんでしたが、実際にその中に入ると、実際の景色は想像とは全く異なるものでした。

インターネットもなく事前に事業の内容について調べられる方法もなかったため、入社してから「なにがしたいの?」という問いかけに対しても、何があるのか、何が出来るのか、右も左もわからない状態だったといいます。

事務作業か外回りかの2択になり、外回りを希望した高見さんは営業部に配属に。

一般職と事務職に分けられるなかで、営業として働く高見さんも事務職という扱いでした。

入社当時の日本では「女性社員はお茶汲み、コピー取りをするもの」という風潮があり、外回りの仕事もしつつ、お茶汲みやコピー取りをこなし、席に戻ると出荷の資料作りをしないといけない、といった様々な業務が山積みになっている日々。

それでも、男性と同じ仕事をこなしても女性であるということだけで月給が1万円安く、1年間で12万円の給料の差があったそうです。

Queens of Sole シリーズ | 高見 薫さん EP1-SNKRGIRL-INTERVIEW-SERIES-KAORU-TAKAMI-06

女性として働くことの難しさは、社内だけでなく社外でも。

新しい営業担当として高見さんが紹介されると、男性の店長から

「うちはもうランク落ちたんだ」

と言われた経験もあるそうで、“女性として働く”ことの厳しさを目の当たりにしたといいます。

仕事が部活の延長という考えや、スニーカーは“男らしいもの”という考えが業界全体にあったのか、スニーカー業界での女性の評価や見られ方は厳しかった当時。

女性だからという理由で心無い言葉を浴び、業界での疎外感を感じつつも、一部では性差・年齢・経験が理由にした差別もなく、平等に関係を築いてくれたお店もあり、そのお店とは今でも交流が続いているそう。

日本のスニーカー業界において欠かせない存在である高見さんも、「他に出来ることに何があるのかわからなかったので、やっていくしかなかった」と話し、さまざまな奮闘を駆け抜けた過去がありました。

当時のスニーカー中心地は“完全なる男社会”

現在はファッションカルチャーの “メッカ”として人気の原宿ですが、当時の原宿ではスニーカービジネスは確立しておらず、スニーカーといえば上野にある“アメ横”が主流だったようです。

しかしアメ横のスニーカービジネスでは“男性社会”の風潮は根強く、高見さんが担当されているショップもアメ横にいくつかあったものの、

「女性はこの通りは通ってはいけない」という暗黙のルールさえ存在するほど、男性から女性への見えない壁は分厚く存在していたようです。

カジュアルアパレルに興味があって入社した高見さんは、アパレルアイテムをメインに担当していましたが、「靴は男 (のもの)」という考えが根付いていた当時のアメ横は鮮明に覚えているといいます。

エアマックス95の熱狂から店頭に立つことに

今でも語り継がれる熱狂。きっかけは芸能人か

今ではスニーカーシーンを率いるNikeですが、90年代の日本では商社がスニーカーを取り扱うことが主流で、Japanという法人名で展開していた企業はNike JapanとReebok Japanの2社のみ。業界の中で疎外感も少し感じるほどだったといいます。

そんななか、Nikeが今の人気ぶりを確立するきっかけとなったスニーカーが登場します。

それが「Air Max 95(エアマックス 95)」でした。

Air Max 95という名前の通り、1995年に誕生したAir Max 95ですが、日本でその存在が認知され人気を呼んだのは翌1996年。

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NIKE AIR MAX 95(1995) via FASHIONSNAP

発売から約1年の時が経ち、芸能人がファッションアイテムの一部として着用したことがひとつのきっかけで、その熱狂は瞬く間に日本中に広がっていきました。

おしゃれとしてスニーカーを履くという発想も少なかったため、芸能人がスニーカーを履いてテレビ番組に映るということ自体も目新しかったのではないか、というのが高見さんの見解。

もともとNikeとしてはAir Max 95をおしゃれとして履くことは推奨せず、“運動靴/ランニングシューズ”としての利用を想定してアスリート・スポーツ向けの1足としてしかアプローチしていなかったにも関わらず、

イチローさんや木村拓哉さんや広末涼子さんなど、当時人気絶頂だった有名人がこぞってが履いていたことで、Air Max 95は「運動靴からトレンドアイテム」へと、大きく舵を切ることになりました。

記憶に残るNikeショップ時代の奮闘

Nikeで働きながら数々の名作モデルのリリースや、発売に至るまでの過程から、スニーカーが世に輩出されるまでの多くを見届けてきた、スニーカー界のレジェンド的存在といえる高見さん。

そのキャリアの影にあったさまざまな苦労や奮闘は、ジェンダーに関係したことだけではありませんでした。

Air Max 95のブームによりあらゆるプロジェクトが動き始めた1996年、Nike Japanが1番力を入れるプロジェクトとして「Nikeショップの立ち上げ」がスタートします。

しかしながら、1年で8店舗をオープンするという計画があるも担当者はわずか4人という少人数体制。

家に帰る時間がないほど多忙な日々を送り、会社にある段ボールを敷いてそこに自分の名前を書いて寝泊まりしていた時期もあったといいます。

新しいNikeショップ設立がアナウンスされると、オープンを待ちわびる人が行列を作り、その列の整理からショップでの接客も担当するなど、Air Maxブームの裏側には高見さんを含めNikeを支える人々の怒涛の日々がありました。

Nike社員も身の危険を感じた「エアマックス狩り」

そして、Nikeを代表するスニーカーシリーズ「Air Max(エアマックス)」の歴史を語る上でよく耳にする言葉が「エアマックス狩り」。

社会現象としても語り継がれる「エアマックス狩り」は、Air Max 95(エアマックス 95)のブームがきっかけで起こりました。

日本国内への輸入がごくわずかにとどまっていたこともあり、Air Max 95の熱狂がはじまった当時は希少価値も高く、エアマックス95を履いた人物を複数の若者が徒党を組んで襲撃して奪い取るといった事件が起こるというほど、その人気は加熱していました。

Queens of Sole シリーズ | 高見 薫さんEP1-SNKRGIRL-INTERVIEW-SERIES-KAORU-TAKAMI-07

「エアマックス狩り」が起こった当時、Nikeの社員までも身の危険を感じるほど、そのブームは熱狂的なものだったといいます。

1996年からAir Max 95を着用する人も多くなり、Nikeスニーカーの魅力やブランドの認知は、大きく広がっていくこととなりました。

YouTubeでの本編:EP1

SNKRGIRL編集部
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神戸・東京・ニューヨークのメンバーと共にグローバルに活動する編集部メディアチーム。

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