日本でのマーケティングを進めるにあたって最新トレンドを調査する中で、藤原ヒロシさんとのお付き合いがはじまったのも、1999年のことでした。
トレンドを追っていくうちに、日本特有の流行のひとつである“古着ファッション”に着目するようになります。
当時、他の先進国では「新しいものを作って、古いものは捨て、どんどん新しいものに変えていく」という傾向があったのに対し、「ひとつのものを長く大切に使う」傾向が根強く残る日本の若者の間で広がっていた「古着ファッション」にフォーカスし、“古着に合わせやすい靴”を作ろうと提案したそうです。
そこで誕生したのが、世界のスニーカーカルチャーに大きな影響を与えることとなった「CO.JP (シーオードットジェーピー)」でした。
しかしながら、当初アメリカサイドにその提案がすぐには受け入れられたわけではなかったといいます。
日本限定での発売であった「CO.JP」は、"シーオージェーピー"という通称ですが、「コンセプト・オブ・ジャパン」が正式名称。また、アルファベットからの呼び名も本来は“シーオードットジェーピー”と呼ぶそうです。
日本限定で発売し、トレンドセッターとなるようなスニーカーをリリースしていこう、というプロジェクトでした。
新たな日本限定スニーカーとして世界でも認識され、マニアの間で注目を集め始めたのが1998年〜1999年のこと。
その頃、「CO.JP」のスニーカーを並んで買っていた人でも、平日は革靴を履いて仕事に出かけ、週末にだけスニーカーを履くといった傾向は強く、現在ほどの広がりに比べるとまだまだほど遠い状況でしたが、日本からもスニーカートレンドを発信していこうという機運はより高まっていました。