元々ファッションには興味なかったんです。
最初は青じゃなくてただの金髪でした。
なんで有名になったかっていうと、「Nikeの赤い真っ赤なスニーカー」がきっかけでした。
ニューヨークに行く前トマトラーメンで働いていたんですけど、そこで一緒に働いていた方たちが「ニューヨークでも頑張れよ」ってプレゼントをくれたんです。
それがNikeの真っ赤なスニーカーでした。
ニューヨークで、(ballroomが開催されていた) 毎週月曜日に、それを履いて踊りに行っていました。
そしたらYoutubeの動画に「あの赤い靴のアジア人はだれ?」とコメントが来ていたんです。
当時英語も全く分からなかったんですけど、友だちがスクショとかを共有してくれて知りました。
自分はCHISEではなく“Red Shoes Girl”と呼ばれていることを知って、“Red Shoes Girl”としか見られていないんだと気付いたんです。
アジア人がたくさんいる中で、“CHISE”として認識してもらうにはどうやったら良いんだろうと考えました。
毎回やってもらっていた美容師さんに、「色を入れたら目立つんじゃない?」と勧められたのがきっかけで、それから6、7年くらい青髪です。
それから“Blue Hair Girl”になって、それが“CHISE”になったんです。
当時ダンサーのAYAさんがすでに赤髪だったので、Fire & Iceみたいな感じで、アジアのツインズとして認識されていました。
ニューヨークで「edamame」が「エダマミー」と発音されていることから、「エダマミーズ」とかって呼ばれたり(笑)。
動画のコメントを見たことをきっかけに青髪にして、“Red Shoes Girl”から“Blue Hair Girl”、そして“CHISE NINJA”という流れになりました。
今思えば、「赤いNikeのシューズ」が個性としての始まりですね。