目次
日本に数多くあるスニーカーショップの中でも「聖地」と言われる程の伝説的なお店がある事をご存知でしょうか?
「柿本商店」というコンバース専門店が、兵庫県神戸市にあります。
神戸に拠点を構えるSNKRGIRL編集部も、女性に向けたスニーカー情報を配信するメディアとして、多くのスニーカーファンに
「コンバースの聖地」と呼ばれる柿本商店さんを取材しないではいられませんでした。
聖地にふさわしい”レジェンド”ストーリーをたくさん教えていただきましたので、たっぷりとご紹介致します!
柿本商店とは
創業1968年。
50年以上もの長い間スニーカーを売り続けているコンバースの専門店「柿本商店」。
日本全国のみならず中国やスイスなどといった海外からも多くのスニーカーファンやコレクターが訪れる、知る人ぞ知る伝説的なスニーカーショップです。
平日・祝日関係なく、常に多くの買い物客で賑わっています。
その評判を聞いて訪れた多くのスニーカーファンや若い人達に、SNSでも #聖地巡礼 とタグ付けされるほど。
神戸市中央区の元町高架通商店街の一角にある店舗には、 一つ一つ丁寧に袋に入れられた6000足近いコンバースが壁一面に敷き詰められいて、その光景は圧巻の一言です。
そして、その買い物客の多くは「女性」。
昨今のスニーカーブームにより浸透しつつあるスニーカー・ファッションの中で、1番と言っても過言ではないコンバースの”女性人気”を考えると納得できます。
戦後間もない時代から、どんなに世の中が変化しようともずっと店を開け続けた柿本商店が辿った軌跡は、周社長のビジネスマンとしての先見の明・目利き・人脈の良さが光るサクセスストーリーでした。
日本製シューズ輸出業から国内向けコンバース専門店へ
柿本商店を始める前、「世界長ユニオン」「月星化成(ムーンスター)」「アサヒシューズ」という日本メーカーの靴を扱う貿易業を営んでいました。
神戸という国際港に近かった事もあり、外国船の船員を相手に、フィリピン・インドネシア・タイ・韓国・台湾などへ、これら日本製の良質な靴を横浜から博多まで駐屯車で輸送し船積みするというもの。

商売は上々だったのですが、ニクソンショックや変動相場制への以降などといった円の価値が急激に変化したことにより、海外へ向けた日本製品は売れなくなってしまい、商売の転換を余儀無くされます。
そこで、当時若者に人気だった「コンバース」を国内に向けて販売する事を決意しました。
米コンバースの倒産による転機
1980年代から大きくシフトチェンジしたコンバースの販売も軌道に乗り、柿本商店としての商売を続けていた中、ある一報が舞い込んできました。
「コンバースは、もう潰れるかもしれない。」

倒産する前の1997年、輸入業者の友人に米コンバース社倒産の噂を聞いたそうです。
“3年後にコンバースは倒産する”と聞くやいなや、その友人に「アメリカ製のコンバースシューズを数あるだけ全て送ってくれ」と頼みました。
それだけでなく、日本のコンバース代理店にも、地方で売れ残っているコンバースがないかを聞きまわったといいます。
代理店から地方の小規模な個人商店まで、ありとあらゆる靴屋と業者に「全部仕入れ値で買い取るから集めてくれ」と頼み、全国に残っていたアメリカ製のコンバースの余剰在庫を数の限り集めました。
そして3年間、そのかき集めた30万足近くのアメリカ製コンバースシューズを “寝かせる“ことにしたそうです。

やがて米コンバースは2000年に倒産。
当時、多くの同業者が在庫を分けてくれる様頼んできたそうですが、新聞での発表まで待つ様に伝えていたといいます。
そして、いざ新聞で倒産が発表されると、寝かせていたコンバースを日本全国に向けて一斉に販売。
こうしてコンバース専門店としての「柿本商店」は、スニーカー業界で一目置かれる存在となっていきました。
“コンバースの聖地”と呼ばれる所以
米コンバース社倒産直後、引き取った在庫約23,000足と日本の代理店に残っていた在庫約7800足の、計約30,000足もの在庫を保持していたといいます。
倒産前からかき集めた在庫は単独ではさばききれなかった為、全国にある業者に販売。
「なかなか見つけられないコンバースは柿本さんに聞いたらある」
在庫確保に苦しむ業者は、柿本商店へ次々と問い合わせする様になりました。
また、当時国内でのコンバース販売価格が、通常の2倍以上の値段となる15,000円まで高騰していた中、柿本商店では倒産以前よりも2000円ほど高く設定していたとはいえ、7800円ほどで販売。
その事も、取引のあった業者の中では随分と喜ばれたそうです。
こうして、柿本商店は靴販売の業者の間で広く知られる様になりました。
そんなコンバースの国内在庫の状況は、スニーカーコレクターの間でも話題に。
倒産前のアメリカ製コンバースや希少価値の高いコラボモデルをまだ持っている店があるらしいと、マニアの中でもその存在が広がり、その品数とレアものの存在で「聖地」と呼ばれるまでに。
「ジョン・レノンのイマジン」モデル、「スターウォーズ」モデル、「バットマン&ジョーカー」モデルなどの激レアモデルから、「あしたのジョー」モデル、「岡本太郎の太陽の塔」モデル、「みうらじゅん」モデルなどの日本のレアなコラボモデル、大手量販店で売り切れてしまった人気モデルまで、柿本商店に行けば見つかると、今でも多くのコンバースファン、スニーカーファンが訪れています。
柿本商店が長年続けてこられたワケ
「ただ靴を売っていても面白くない。業者と話しし、新聞を読み、世界情勢を把握し、時代の変化を常に先読みしながらどう商売を進めていくかを楽しむ」というのが、柿本商店周社長のビジネス理念。
そして、毎日店を開け商売を続けていく事。
失敗するから辞めるのではなく、何とかその時々の状況に対応しながら、知恵を絞り、アイデアを色々考え、商売が生き残る様努力し続ける事が大事なのだといいます。
「昔からよくいう “天・地・人” が揃わないことには長年続けてこられなかった。」
運に恵まれていた
天=運に恵まれていたこと。
コンバース倒産の危機という噂を、事前に耳にする事ができた事も運だったといいます。
また、天災からも免れたこともあったそうです。
それは、阪神淡路大震災が起こった時。
当時大規模な地震により多くの建物が倒壊した中、柿本商店の店舗はほとんど被害を受けなかったそうです。
それは「靴に守られた」からでした。

当時の店舗では、閉店時に店の外に出していた靴を棚ごとそのまま店の中の通路に移動させて閉店していました。そうすると、店の中は人が入られないほどに靴で埋め尽くされる状態。
こうして店内が靴でギュウギュウに埋め尽くされた事で、揺れに影響されてしまう空間がなくなり、また靴がクッション代わりにもなって、地震の揺れや倒壊に耐える事ができたといいます。
それは、震災発生直後に店を見に行っても”ガラス1枚割れていなかった”というほどでした。
このように、運も味方にできたことも大きな要因でした。
地の利に恵まれていた
地=土地に恵まれていたこと。
神戸は古くからの国際的な港町で、外国人が街を行き交う貿易の盛んな土地です。

創業前は靴だけでなく”なんでも屋” といえるほど様々なものを調達したり買い取ったりと、外国船の船員と取引が上手だった為、周さんは神戸港近くのビジネスマンとしてその名は知れていました。
そんな中、外国船の船員たちに「日本製の靴がよく売れる」と聞きます。
それを聞いた周さんは、「神戸」にある他の強みである「ケミカルシューズ=ゴム底靴」を売ることを思いつきます。
海外とのやり取りが盛んだった「港町」としての神戸、
ゴム底靴を多く生産していた「靴の街」としての神戸、
周社長は、この地の利を生かすべく、時代の流れと共にコンバース専門店へと商売を発展させていきました。
人にも恵まれていた
人=人脈にも恵まれていた。
長年商売を続けてこれたのは、柿本商店が培ってきた人々とのつながりも大きな理由でした。
港で商品を取引し海外での需要を教えてくれる外国人船員、米コンバース倒産を教えてくれた友人、余剰在庫をかき集めてくれる代理店担当者、購入してくれる他業者、そして店に訪れてくれるお客さん達。
柿本商店をとりまく様々な人々とのつながりを大事することで、商売を長く続けられたといいます。
柿本商店の伝説は次世代へ続く
神戸の街でコンバースを専門に40年以上店舗を営む「柿本商店」の評判は、2021年以降も衰えることなくさらなる広がりを見せています。
学生や若者が多く集う神戸・元町エリアに、開店と同時に多くの人が訪れ、1人で何足も買い込み、試着したり、写真を撮ったりと、買い物を楽しむコンバースファンで賑わいます。
特に、女性客がたくさんいるのも特徴的で、彼氏や男性パートナーを連れて来たり女性グループで一緒に買い物をしている姿が目立ちます。「他人と被らないものが欲しいから」「好きな色が見つけられるから」と、お目当てのコンバースを探しに来ている女性が後を絶ちません。
圧倒的な女性人気を誇るコンバース。そのコンバース専門店としての「柿本商店」さん。
その「聖地」としての人気と知名度は今後も世代を超えて広がり、より多くの人々に敬愛され続けていくことでしょう。
ーーー取材:SNKRGIRL編集部
新店舗情報
店名:柿本商店
住所:兵庫県神戸市中央区元町高架通3-217
営業時間:11:00~16:00
定休日:毎週木曜日
電話:078-351-0997
アクセス:阪急花隈駅東口前、道路を挟んだ向かい側に位置
コメントを投稿するにはログインが必要です。