【JixieさんへインタビューVol.5】今、そしてこれからも自分自身を支えてくれる“シスターフッド”

【JixieさんへインタビューVol.5】今、そしてこれからも自分自身を支えてくれる“シスターフッド”

アメリカ・ニューヨーク在住の女性スニーカーコレクターである“Jixie”ことJasmineさんにインタビュー。

これまで経験してきた数々の困難やそれを支えてくれた女性の連帯・シスターフッドの存在、どれだけ難しくても続けること、声を上げ続けることの大切さもお話しいただきました。

INDEX

日本のスニーカーシーン

日本の女性スニーカーヘッドとの出会い

ある女の子がいたの。MySpace(:音楽・エンターテインメントを中心としたSNS)にね。

それくらい(MySpaceが使われていたくらい)昔のこと。

彼女はMiss Tokyo 23っていう名前だった。今はどこで何してるのか全く分からないんだけど。

だけど彼女、Miss Tokyo 23は、当時日本の女性の存在をサポートしてた。

だって彼女はスニーカーに関してはガチな子だったし。

覚えてることがあって、彼女に日本で新しいスニーカーが出るかどうか聞いたことがあったんだけど、

彼女が返事をくれて、そのスニーカーがこの店で発売されると教えてくれたこともあった。

彼女が教えてくれた情報を元にして、軍にいた親戚にそのお店に行ってもらって、そのスニーカーを手に入れたの。

SNSにいた女性の何人かは、2000年代初頭の日本でその時かなりのスニーカーコレクターだったと思う。

確かにそこに存在したモデル

あなたはニューヨークや日本に行きながら、ダンスカルチャーに身を置いてる。

SNS上で踊ってるところを見たよ。公園で踊ってたよね。

だからダンスカルチャーにも没頭してる。

何が面白いかわかる?これ話さなきゃ。

ターミネーター、Nikeのターミネーターの話なんだけど。

私が初めてターミネーターを見た時は、後ろがもっと弾力性のあるデザインだった。

足首周りのパーツに柔軟性があったからそれで踊ることができたの。

Nike Dance Terminator(ナイキ ダンス ターミネーター)っていうモデルがあったんだよね。

インターネットで調べてみたんだけど出てこなかった。

確かあれは2000年代初頭とかのスニーカーだったかな...

日本のダンサーの女の子たちがよく履いてたスニーカーだった。

ターミネーターのデザインで、足首周りのトップの部分に弾力性があって、その下に「Nike」って書かれてた。

うわ〜、あのスニーカーはどこにあるんだろう。でも多分日本のどこかを渡り歩いてると思う。

ここには存在しないけど、でもこれはただの一例に過ぎなくて、私が見たこともないモデルがどこかでは存在してるってこと。

日々前進を続けている

実際の業界を男性がコントロールしていること、特にその当時男性がスニーカーカルチャーをコントロールしていることは分かってる。

だからあなたの好きなようにスニーカーに祝杯をあげることはできるのか?

アメリカや他のエリアでも見られるように、日本でも自由にスニーカーを賞賛することはできるのか。

大きく変わってるわけではないかもしれないけど、それでも日々前進していて、女性がそうやってスニーカーを賞賛するための物語を作ろうとしている。

最前線にいてそこで自分を出し続ける、表現し続けることは、次の世代に力を与えるはず。

次のレベルに導くためのいばらの道

閉ざされてきた数々の扉

私は、私たち(大きいサイズの洋服を着る女性たち)の服がなかった時でも外に出て、プラスサイズを代表する女性になったの。

それでもブランドが私たちのために何かを作ってくれることはなかった。

100回ドアが私の目の前で閉じられたようなものだった。

私はあるブランドのオフィスを泣きながら出て行ったことも覚えてる。

私には何も売るものがない、こういう大きいサイズの女性は参加できないと言われたの。

だからあなたは参加できないって。もちろん直接的は言われなかったけど、別の方向性に行ったんだって言われた。

でも私はそれがどういう意味かも分かっていたし、そうやって100回ドアが叩きつけられたの。

それでもそういう1人の強い女性がその扉を100回たたきつけて、影響を与える必要がある。

“誰か”が引き受けるべき役目

そうやってプラスサイズの女性のためのドアはこの日、今まで閉ざされていた。

まだプラスサイズの分野は進化途中で、スポーツウェアのプラスサイズのアパレル商品に関してはまだ始まったばかりの段階。

あなたにとっては目の前でドアが叩きつけられることがあるかもしれない。

でもそれは次なる世代やまたその次の世代のために築かれるものなの。

私がプラスサイズの女性のためのブログが出てくるのを見て、また出発点に戻るような感覚だった。

目の前でドアが閉ざされたことを感じて、悲しくて、傷ついて、理解されていないと感じた。

なぜ私がこの影響を与えられなかったのか、なぜ私だけがこれに対処しなければならないように感じたのか、

でもその時、「だからこそ、私はあれだけの扉が目の前で閉ざされたんだ」と感じたの。

こういったプラスサイズの女性たちが自分たちを賞賛して、コミュニティを作って、関係性を築いて、

商品を売ったり、私と同じように感じている女性たちのためにあらゆる行動を起こす。

そうやって次のレベルに導くためなんだって。

だから誰かがこの役目を引き受けなきゃいけない。

それをあなたがやっているということは素晴らしいことだよ。

性別は関係ない

でも、こうやって扉が叩かれたからこそ、次の世代のために築いていけるんだと思う。

それがわかるまでは、時々、なんでこんなにも全ての扉が閉ざされたのかが理解できなかった。

キャンペーンに参加するために努力したり、クリエイティブに関わったり、異なる方法でブランドにアプローチしたり、異なる視点から文化を見せたり、男性とのバトルに参加したり、そうやってあらゆる努力をしてきたのに。

アメリカのカルチャーでさえも、男性と戦って勝つと「君は女の子に負けたんだね」って。

一体何言ってるの?負けたって何?“女の子”に負けた?

それは違う。ただ“スニーカーを勝ち取った人”に負けたの。

それが男性だとか女性だとか性別は関係ない。

“スニーカーを勝ち取った人”に負けただけ。

センシティブな話題にはなるよね。

声を上げ続けるということ

続けることの大切さ

でも、本当に大切なのは、どんなに難しくても続けること。

誰かのために次の扉が開くこと、次の女の子が何かをすることに触発される瞬間、それが大切。

女性の小さなコミュニティから始まって、そうやって引き継いで行くことになる。

そして女性は、スニーカーは快適さの芸術であることを知っておくべき。快適であるための芸術なの。

それにスタイルでもある。表現のスタイル。そしてジェンダーを付け加える必要はないの。

“男性のもの”と思う必要もない。

私たちだってスポーツをするし、快適でいたいと思ってる。

新たなステージのためのシスターフッド

たとえば特定の年齢以上になるとスニーカーを履くべきではないとか、そういう古い考えもある。

40歳を超えるとスニーカーを履くことはできない、(スニーカー以外の)靴を履かないとセクシーじゃないとか、そういう古い考えがある。

そういう考えを変えるためには協力し続ける必要があって、たった1人の女性ではなく、シスターフッド(女性同士の連帯)が必要なの。

私自身ももし女性のキャリアにおいて、私のことを信じてくれて機会を提供し、私のためにドアを開けてくれた女性たちのコミュニティがなかったなら、

他の女性たちをインスパイアできるような立場にいられたかどうか疑問に思う。

彼女を支えて次へと進めようっていうマインドがあるコミュニティがあったからこそ。

支え合って次のステージに進めるように、彼女を支えて次へと進めよう、そういうスピリットがあったの。

他の人たちが私の中に何かを見て、手助けをしてくれることで、新しい機会が生まれた。

この機会を彼女に渡そうとか、これをさせて、彼女の名前を出させて、ここに彼女の名前を入れよう、そんな風に。

そうやって私たちの求めていたことが進められる扉が開いたの。

男性が優位な環境で働く女性にとっては、目標に焦点を当てて、必要なことを着実に進め続けることが重要になる。

そうすると他の女性がきてその間を支えてくれる。

影に押しやられてきた“女性”

あなたがやっていることがどれほど難しいかは私も理解できるの。

私はこのプラットフォームで私が存在力を発揮することをよく思わない男性がいるってことが信じられなかった。

だってここはみんなのためのオープンな場所なんだから。

なんで私がここで場所を取ることが嫌なの?

そしたら私たちがここで女性のためのリーダーになろうとしてるからだって。

だから私は「でも公正に競って、良いコンテンツを作って勝てばいいんじゃないの?」って言った。だってそうでしょ?

このプラットフォームはみんなのための場所だから、もし存在力を発揮したいなら誰でも参加できるものなの。

あなたもそこに、私もここにいる...彼らは女性の領域でリードするための男性でありたかったんだと思う。

彼らは(そのプラットフォームで優位であるために)私のことを脅したかったんだろうね。

支えとなってくれた女性たちの存在

気付けば身近にあった“連帯”

私はこれに長い間そうやって活動し続けてきたから、私のやることをサポートしてくれる女性のコミュニティを持っていることに、私自身も気付いてなかったの。

そしてそれは徐々に自然に形成されたオーガニックな関係だった。

ビジネス関係でも、利益が発生するような関係でもなかった。

気軽に何してるの?って連絡するような、実在する人と同じようなリアルな関係だった。

だから男性が女性をいじめて、情熱を追求しないようにしたり、私の行動の理由が彼らの理由と同じ(プラットフォームで優位に立つために相手を脅す)だと思ったりすることは、今だに信じられないこと。

私の理由があなたと同じでないなら、あなたには何が私を掻き立てているのかわからないでしょうね。

私をいじめる方法を知っているの?どうして私がそれに屈すると思うの?

この話は100年前のもののように聞こえるかもしれないけど、これはごく最近の話。

だから、最近でも男性がこの空間で女性をまだいじめられると思うなら、それは間違った考え。

私は実際にはそのプラットフォームを使うつもりはなかったの。

そのプラットフォームで何かを作り上げるつもりはなかった。

ただ他の人たちと楽しく交流して、ただ楽しむためにやっていくつもりだった。

今はもっと意図的になろうって決めたの。

このプラットフォームで私が何をするか見たいかしら?

LETS GO! だから私は内なる魂の向くままに、私のパートナーと一緒に何か素晴らしいものを生み出して、このプラットフォーム上に作り出した。

私たちには何千人ものリスナーと何千人もの参加者、賛同者がいる。

そしてそれはやっぱり、意図的に何かをすると、物事がはっきり見えるし、分かってくるってことだった。

だって私にはすでにたくさんのサポートがあるから。

常に共に戦ってきた

私は成長し、学び、そしてインスパイアされたいと考えている女性のコミュニティを持ってるの。

もし彼が私をいじめたり、ここに私の場所はないと言ったり、このまま居続けるなら後で何があるかわからないと脅したり、もし他の誰かが「あきらめたほうがいい」と言ったとしても、私はそれに屈することはなかった。

でも私はだれ1人にもいじめられないぞって感じだった。

だって、精神的にも連鎖的に次々と影響が広がるドミノ効果みたいなものだと思ったし、他の人にもそれが広がるだろうと思った。

それに私はこういう分野で常に戦ってきた。

すべては未来のためのアクション

未来のために残す軌跡

だからここに留まることはないし、これからが始まり。

私たちのような女性は、変革者であり、変化を引き起こす者。

私たちは変化を起こすためにここにいる。

そして、これからは次の世代がその役割を果たしていくことになるの。

でもあなたは今スニーカーシーンの日本の女性にとっての地位を確立してる。

あなたが発信したことはウェブ上に存在し続けるの。

20年、30年後にそれを見て、次の世代の女の子がそれを見た時、彼女たちはこう言うはず。

「私たちのOGがこれだよ、私たちの先生だよ、これが今のために戦った女性たちだよ」

そうやってスニーカーだけでなく、それ以外の分野でもインスパイアする。

だから、このスニーカーのプロジェクトが、他の分野での女性の自由も象徴しているからこそ、あなたがたくさんの批判を受けているということも分かる。

これは世界的にも言えることだと思う。

立ち向かい続けた女性がいた

私たちがスニーカーシーンでやっていることは、女性があらゆる分野で変革できる方法の表れでもある。

だから私たちは少し怖がられる存在かもしれない。

「彼女たちが靴に対してどれだけ熱心になってるか見てみて。

他のことに置き換えてみて、たとえば政治とか、彼女たちが信じるものに対してどれだけの行動力があるだろう」そういう風に。

彼女たちがどれだけ情熱を注いでいるかを見ると、他の分野においても同じように行動するだろうという不安が生まれる。

アフリカでも同じなの。アフリカの一部の場所では女性は家庭のケアギバー(介護者、世話役)であること、つまり母親とされることが一般的だけど、学校に通う女性もいるし、今ではもっと多くを望む女性もいる。

そしてスニーカー好きでもある。

アフリカでの最初のキャンプアウト(購入のために徹夜でお店に並んだり野宿したりすること)の一つは、Yeezyだったと思う。

それはとてもクレイジーだよね、だってYeezyは比較的最近のものだから。

でもそれはYeezyのためで、それが最初のキャンプアウトだった。

そしてそのキャンプアウトの列には女性は1人しか居なかったの。

他の並んでいる男性たちは、彼女を押しのけたり、彼女を家に帰らせようとして、そこから出て行けと言ったりした。

女性は夜外にいるべきではない、みたいなことを。

それでも、彼女は立ち向かってそこに立ち続けたの。

月に最初に行ったのは誰だっけ?ニール・アームストロングかな?

彼女はまさにスニーカー界のニール・アームストロングだよ。

彼女はそこに立って、彼女の旗を立て、「私は私のスニーカーを待つつもりだ」そんな雰囲気だった。だからこういう話は世界中にたくさんあると思う。

誇りを持っている“今”の自分自身

あらゆる場所で、旗を立てて、未来のために今のこの年表に自分たちの足跡を残しているという話がたくさんある。

これは確かな事実なの。私たちは何か行動を起こしている、それは紛れもない事実。

広い視野を持っているから時々ちっぽけなことのように感じられることがある。

スニーカーで何かを行って、スニーカーで創作して、スニーカーで構築し、スニーカーで物語を語ることが小さなことのように感じられるの。

でも実際には、これは他のシーン・業界の扉も開いてる。

他の女性が他の場所で活躍するための扉を開いている。

だから、私は今この場所にいることを本当に誇りに思ってるの。今ここにいることを本当に誇りに思ってる。

SNKRGIRL編集部
SNKRGIRL編集部
神戸・東京・ニューヨークのメンバーと共にグローバルに活動する編集部メディアチーム。

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