アメリカと日本は、スニーカーやストリートウェアにおいての文化的な影響という点で、常に絡み合った共生的な関係にあったという背景からも、CO.JPという企画は非常に理にかなっていたものといえます。
日本のスニーカーファンは、早くからエアマックス95を愛用していましたし、ナイキSBが誕生するずっと前からダンクも履いていました。
そんな日本はスニーカーカルチャーの"Hot Spot (ホットスポット)"であり、ナイキにとっては、日本限定の商品を発売して、ファンをさらに拡大し、盛り上がっているスニーカーシーンに向けて、デザインやカラーウェイを試す絶好の場所だったのかもしれません。
結果、コンセプト・ジャパンという企画による日本市場限定のレアなスニーカーのコレクションは、アメリカのスニーカーヘッズを唸らせました。
インターネットが今ほど普及していなかった時代、CO.JPはアメリカのスニーカーヘッズにとっては「知る人ぞ知る」存在。
スニーカーを手に入れるためには、時には"クリエイティブな裏技"を駆使しなければなりませんでした。そんな"スニーカーハンティング"は事実上、世界中に広がり、スニーカーカルチャーを世界に浸透させることに「CO.JP」は貢献することとなりました。