日本の技術力の高さやコストの低さに着目していたNikeの創業者フィル・ナイト氏は、1962年11月卒業旅行で訪れた神戸でオニツカタイガーに出会い、鬼塚喜八郎氏に直談判することで米国西部での販売代理店契約を結びます。
帰国後、フィル・ナイト氏は恩師でもあるビル・バウワーマン氏とBRS社を設立し、アメリカ人向けの機能やデザインをオニツカ株式会社に提案し、それを製品化するという密な連携をとっていました。
10年後、互いに感じていた問題点を考え、契約を解消。
デザインを巡ってBRS社がオニツカ社を提訴するなど大きな問題に。
結果、オニツカ社が商品名をタイガーコルテッツからタイガーコルセオへ名称変更することで和解となりました。