【JixieさんへインタビューVol.4】彼女が残す女性として歩んだ軌跡と新たな風で変わりゆくスニーカーシーン

【JixieさんへインタビューVol.4】彼女が残す女性として歩んだ軌跡と新たな風で変わりゆくスニーカーシーン

アメリカ・ニューヨーク在住の女性スニーカーコレクターである“Jixie”ことJasmineさんにインタビュー。

今の彼女が形造られるまでの努力や支えてくれた女性たち、数々の出会い、そして彼女が目の当たりにしてきたスニーカーカルチャーの流れ、変化についてもお話しいただきました。

INDEX

スニーカーシーンで出会ってきた女性たち

今ここに至るまでに助けとなった人たちとの出会い

私が凄くやりたい事の一つは、前へ進む事なの。

ずっとスニーカーに携わってきた女性であるだけでなく、永遠にね。

でも同時に私は大きめサイズを着用する女性でもあるってことで。

だから、私はそういったところでもずっと活動してきた1人の女性として代表したいし表現したいと思ってるの。

そして、他にも多くの女性が私の周りにはいて称賛しきたし、メンターというか、影響を与えてくれて、私が今の自分に至るまでに大きな助けとなった人たちがいる。

その人たちはいつも「見て、あのスニーカーここで発売されるからゲットしにいきなよ」とか「このペアをあなたのために取っておくよ」とか「ちょっと違うことやってみるよ。」とか言ってくれる。

ここに至るまで、今の自分を形作る上で助けてくれた沢山の女性たちと出会ってきたの。

次なる“ミニ版の私”を探して

だからこそ、私にとってはそれに恩返しすること、今度は若い世代が最高の姿でいられるために手助けすることが大切だって考えてる。

それとね、この次の世代の中に(自分の次になるような)「ミニ版の私」みたいな子も探してるの。

どんな子がそれに当てはまるのか、どんな靴を履いているのかを見たいって思ってるんだけど、興味深いことにまだいないんだよね。

だから私は、若くて、スニーカーにすごく夢中で、何でも学ぼうとして、色んなスニーカーを手に入れようとしているような、そんな子が見つかればいいなと思ってる。

もし見つけたら私に教えてね!だってもう絶対に親友になっちゃうもの。

1足が繋げてくれた出会い

実は、私が持っているスニーカーのうちの1足で、たった75足しか作られていないモデルがあるの。

そして、SNSに投稿したんだけど、「これを持っている他の女の方と出会いたいです」ってあげたら、実際に1人出会ったの!

もちろん、私たちはめちゃくちゃ仲良くなったよ。だって、それはとてもユニークなスニーカーだったから。

彼女「私もそれを持ってるよ」って言ってくれて、私は「うそでしょ?!」って。

そしたら彼女がそのスニーカーの写真を撮ってくれて。

私たちは今では親友みたいに仲良いの。

彼女のコレクションってもう本当に凄いの。

でもそのスニーカーを手に入れるには、ある時期にある特定の店でしか手に入れられないすごく限定的なものだった。

運命のような出会いを待ち侘びてる

本当におもしろいよね。でも、ときどきやっぱり思うのは、私たちを人々を結びつけるスニーカーや、私たちがどんな人物であるかを物語ってくれるスニーカーがあったりする。

そして、もっとこういった女性に会ってみたいの、私自身がそうであるように、スニーカーに対して強い欲求を持ってるような女性にね。

でも友達の中には「あなたは唯一無二よ。それはもう受け入れるしかないよ。」って言う子もいて、

でも私は「いや、そんなことない。絶対そんなことない。まだもう一人、もう一人私みたいにスニーカーに全てをかけてる子がいるはず。会えるのが待ちきれないくらいだよ!」って言ってるの。

ミニ版の私を探して!この世のどこかに私みたいにスニーカーを集めてる子をね。

スニーカーは1つの“表現方法”

今の自分を形造った自分自身の努力

私も昔、スニーカー・バトルしてた。外に出て行列に並んだり、店の外で徹夜してたこともある。

全ての権利を使って、然るべきすべての努力を経て今の地位に至っている。

コレクションを構築するってことは一夜で成し遂げられないし、知識を得るのも一晩では不可能なこと。

だから、本当にこの道に進みたいと思っている女性たちがいるのか?って思うじゃない?

スニーカーについて学びたいと思っているのか、本当に知りたがっているのか、彼女たちにとってユニークなものを手に入れようとしているのか。

オンライン上で見えるものだけじゃなくてね。

だから、時代は変わったけど、次の世代にもスニーカーにまつわるすべてにおいてとても熱心になってる若い女性をたくさん見られるようになると思う。

私は、ある部分、自分のレガシーも残していきたいというか、どっぷりつかってきかスニーカーカルチャーの中で、私が成し遂げてきたことや貢献したことを残したいし、

また、他の女性たちにもスニーカーカルチャーや業界で、クリエイティブに活動できるようにインスパイアしたいと思ってる。

これは私たちのスニーカーカルチャーだから。

“スニーカーへの愛”が始まった場所

スニーカーを愛するというアート/芸術は、ストリートやフッド(低所得地域)から来てる。貧しい環境から誕生したもの。

そんな状況でも唯一できるステートメント/声明って、あなたが何を着ているかということで表現できる。

だって家もないし、車もないんだもん。

だから、私が学ばなければいけなかったことは、行く場所によってフッドは違って見えるということ。

シカゴに行くと、フッドは隔離されてる。

一つの人種の人々が一つのエリアにいて、別のエリアには別の人種がいて、別の場所にはまた別の人種がいたりする。

そこからカリフォルニアのような場所に行くと、そこにいる唯一のラテン系はメキシコ文化だけだったりして、プエルトリコ文化はなかったり。

そして、メキシコ人はプエルトリコ人や他のラテン系文化とは全く違うの。

そこから、テキサスやミシシッピのような場所に行くと、また全然違うコミュニティの様子が見られたりする。

スニーカーは自分の存在を表現するもの

ニューヨークはとても興味深い傾向があって、みんな同じ街に住んでいるからまたおもしろいのよね。

ニューヨークは異なる人種や文化が混在しているの。

例えば、下にはアジア系の人が住んでいて、上にはアフリカ系アメリカ人が住んでいたりする。

隣にはドミニカ系の人、ここにはプエルトリコ人が住んでいて。

そうやって、異なる民族や文化背景を持つみんなが互いに近くに住んでる。

「何してるの?」「何が食べたいの?」「わあ!そのスニーカー履いてるの?良いね!」「元気してる?」って会話してそうやって私たちはみんな一緒に育ってきた。

だから、私たちの親は家や車を持つことを求めてなくて、なぜなら、それは当時あまり現実的ではなかったから。

たとえ少しお金を手にしていたとしても、書類に名前書いて出したり、クレジットを得たりしなければならなかった。

私の両親はそういうことを教えられなかったんだと思う。祖父母もそういうことを学び始めたところだった。

彼らはここに来てから、つまり、私の祖父母はこの国に来て後から来たし、そこから働き方を学んだり、

うまく生活をやり抜く方法を学んで、英語も勉強したりすることもとても大変だった。

そこから時間が経って、世の中の誰しもが尊重されたり、自分の存在を知ってほしいでしょ?

私たちはそうやって声をあげて自分の存在を知らしめようとしていた。

だから、フッドでスニーカーを履くことに繋がっていくの。

スニーカーカルチャーと女性

1人の女性がここにいた軌跡

そして、私にとっては、前に進むことって、レガシーを残すことなの。

女性はずっとスニーカー界にいたってことをね。

それを記録してる。そうやって軌跡を残してるの。

女性たちがここに至るまでの全ての功績は、私がインターネット上で公開してるしね。

私の記録を見れば分かるはず。私たちがどれほど長い間やってきたのか、男性と同じことをどれだけ昔から女性もやってきたのかが。

そして、前へ進むとなっても、今後は女性たちが振り返るためのリファレンス(参考文献)もある。

オンライン上に存在しない女性の歴史

一方で、私が持ってるいくつかのスニーカーは、90年代に発売されたと確信してるものもあるの。

オンライン上には情報はないんだけど、きっとウィメンズスニーカーだと思う。

オンライン上では存在しないの。なんでオンラインに存在しないんだろう?

全てがオンライン上にあるのに。

私にとっては私たち女性の歴史が奪われているように感じるの。

(オンライン上にないと)私たちの歴史を消し去るようで、まるで私たちが存在しなかったかのように見えてしまう。

でもそれは違う!私たちは確かにそこにいたんだよ!

私たちはこういった経験をしてきている。女性版もあるし、男性版もある。

もし私みたいな誰かがいなければ、こういったことをどうやって存していくの?って。

または、そういうストーリーをどうやって続けていくの?

だから、私は自分の立ち位置をわかっていて、女性たちがクリエイトできるようにインスパイアし続けたいと思ってるの。

だって、そこにだって自分の軌跡も残すことができるでしょ?

かつては男性の領域とされた場所

なんとなく男性がやったことと同じようなものでもあるね。

Kicks on FireとかComplex、Sneaker Files、Sneaker News、全て同じタイミングで始まった。

男性が全て始めた。そして男の人たちのものだった。

切磋琢磨して、同じ時期にみんな這い上がってきた。

だから今、その中でどこに女性が位置するのかな、そう思うでしょ?

どこかにいるはずなのにね。

女性に関するストーリーは、どのなかのどこにでもある、メディアやアウトプットする場所にはね。

でも、それで互いに張り合うウィメンズのものが何もなかった。

長い間、それは男の領域だったから。

変わりゆく女性とスニーカーの関係

今は、そんな状況は変わってる。

だからニューヨークでは、スニーカーについてのマイクロブログがたくさんあるの。

そして多くの女性がマイクロブログを作ってる、ブログを書いている女性は多いんだよ。

クリエイティブエージェンシーやイベントやったり、スニーカーに関するアートを手がけていたり、みんな色んなことやってる。

だからあなた達が今だにたった一つでいること、それは、(女性としてやっていくことが)どれだけ難しいことなのかを物語ってる。

物語を語り続けることの大切さ

このカルチャーはあなたの社会とかあなたの行動に深く根付いてる。

そして、あなたのような人が続けてその物語を語り続けることはとても重要なこと。

そうすることで、あなたのコミュニティの女性たちが、あなたたちが同じ環境にいたことを知って、それが世界全体に対するあなたたちの貢献なんだと理解できるようになる。

新たな文化によるスニーカーカルチャーの変化

スニーカーシーンが衰退していた時代

でも私の視点からは、ここでのフットウェア文化がアメリカのフッドカルチャー(ストリート)に属しているように、日本の女性はラップミュージックのブームと共に、スニーカーに興味を持ってなかった時期もあったよね。

そういう興味が薄れた時期があった。

スニーカーに対する興味が一気になくなって、ハローGucci、バスケットボールはバイバイ、みたいな。

それでソファで寝るとかはなくて、一緒に寝たらいいじゃないみたいな。

それはスニーカーカルチャーが完全に衰退した時期だった。死んでいってたね。

だから私が“スニーカーカルチャー”の話をするとき、人々がスニーカーを買って、本当にスニーカーが好きなことを指してるの。

原宿カルチャーの新たな風

覚えてるのは、エアマックスが、2000年代初め頃、95年とか97年、90年とか、誰も履いていなかった時があったこと。

しばらくの間Air Max人気が衰退してた時期があったの。

でもその時アジア限定モデルが出てきたんだよね。

日本だけで発売されたAir Maxや、今までと違うような日本のブランドとコラボしたAir Maxが出てきたの。

その頃、新進気鋭のストリートウェアブランドがたくさんあった。

原宿のカルチャーが拡大して、世界的に広がった時だったと思う。

だからスニーカーカルチャーは日本のカルチャーにすごく支えられてたと思う。

そのことは、本当にスニーカーカルチャーに精通している人たちじゃないと知らないことだと思う。

スニーカーモデルの息が長く続いた理由

当時それは本当に熱心なユーザーじゃないと手に入れられないもので、

日本の誰かが注文して送ってくれるか、あるいはショップとかにコネを持っていなければ手にいれることはできなかったから。

私の人生で最高のことの1つは、家族に軍で働いてる人がいたこと。

もし家族に軍関係者がいて、日本に行く機会があれば最高だよ。

このショップに行って、あのショップにも行って、これが欲しくて、これが新しく出るスニーカーで...って、いろいろ頼んでた。

その当時、抽選制度もなかったから抽選で手に入れる機会もなかった。

必ずその場にいないといけなかったし、列に並んでそのスニーカーを手に入れないといけなかったの。

でもそれこそがいくつかのスニーカーモデルの息が長く続いた理由でもあると思う。

日本限定スニーカーの存在

世界のどこにも存在しない、日本で発売されるモデルとして作成されたAir Maxがいくつもある。

それが日本で買い物をする上での面白さの1つだった。

ここでしか見られない、ニューヨークや他のどこにも存在しないようなレアなアイテムを見つけることができるのが魅力的だった。

でもそれには大きな名誉があると思う。

私はそれを「スニーカーヘッドのメッカ」って呼んだりするんだけど、

そこに行くと、スタイルがどこから派生しているかとかどこから影響を受けているものなのかとかが見えたりする。

日本のカルチャーからインスパイアされたもの

例えばJeremy Scott(ジェレミー・スコット)とかね。彼が出てきた時、テディベアとか骨型のパーツがついたスニーカーを発表したりして、本当に奇抜だった。

彼はより国際的なものから影響を受けていて、それはこれまで思いつきもしないようなものだった。

あれは、もう完全に異質なもので異彩を放っていた。

それで、ヨーロッパみたいな場所とか、ヨーロッパではミニマリストな人が多かったから、それを見た時には「うわ、何これ、テディベアの頭がスニーカーについてるなんて一体どういうことなの?」って。

彼はそれを私たちの元に持ち帰ってくれて、ヒップホップに戻してくれた。

あれは完全に日本のカルチャーからインスパイアされたものだと思う。

そういったものってたくさんあるんだよ。足袋とかね。

足袋のようにつま先が別れたデザインをマルジェラのアイテムでよく見るよね。

今日に至るまで、ヘビーに、強い影響力がある。

それから何世代にも渡って引き継がれているブランドもある。

そしてその足袋のデザインを持ってきた女性は、NikeやJordan Brandとともに製作もしてる。

自分自身のスニーカー事情と深い関わりを持つ“日本”

やはり、長い歴史の中で、日本の文化や日本の女性がこのシーンに影響を与えて、市場を支えてきた歴史がある。

そうやって文化や影響は受け継がれ、共有され、新しい世代に引き継がれていく。

だって、世界のある場所で流行りだして、他の場所では流行ってなくて、でもそれっていつでもハイプってそういうことでしょ。

(世界中の異なる場所や文化で、ファッションやスニーカーカルチャーは異なる影響を受けてる。)

それは本当にスニーカーを愛してそこに参加してきた人々にとって、日本ってスニーカーにインスパイアされたものを称賛する最初のカルチャーの一部だと思うの。

例えばベアブリックとかも。

ベアブリックがここまで大きくなってヒットしたのか、どこで人気になったのかって、

おもちゃとかフィギュアがスニーカーカルチャーで人気になった現象は「日本」に功績があって賞賛を送るべきだと思う。

ストリートウェアブランドを考えるとき、初めに、BAPEとかice cream、BBCのことを考えると、日本から来た影響もたくさんあって、

私にとっては日本からの影響と私のスニーカー事情はとても深い関わりがある。

コラボモデルに魅了される理由

2004年から2007年頃、アジア限定モデルにめちゃくちゃハマってる時期があったの。とてもヘビーにね!

例えば、鯉がデザインされたAir Maxを手に入れたりもした。

鬼のデザインも日本でゲットした。ポニーヘアとゼブラ柄のAir Force 1も持ってる。

2005年のモデルだったかな。

その時期には、スニーカーにシマウマの毛皮やポニーが使われることはまだ一般的ではなかったの。

それが私がコラボレーションモデルに魅了される理由でもあるね。

異なる文化での交流から生まれるトレンドの波

同じことがPoloにも言える。Poloはここ、ニューヨークでは完全に衰退してる。

かつてはPoloは人気だったし、みんながRalph Laurenのファンだったけど、今ではその人気はなくなってる。

ここでは完全に衰退していても、日本では最高にイカすものとして支持されてる。

だからここで没落した短かった一時的なカルチャーの波はブルックリンから日本へ移った。

そしてそれがまたブルックリンに戻ってきて、5,000ドルになってる。

SNOW BEACHコレクションのものは10,000ドルにまでなってる。

それがなぜそんなに高騰したのか?

それは国際的になって、ストリートウェアやストリートカルチャーのランウェイで一気に高まったから。

そうやって全てが高騰したの。

それは美しい交流だと思う。

特にニューヨークのストリートウェア文化において、顕著に現れているものだと感じてる。

特にニューヨークのストリートウェア文化は、日本と行き来していて、LAも同様のことが起こって、文化が活性化して価格が高騰したりしてる。

スニーカーカルチャーの変化

でもそういう交流の中で、スニーカーカルチャーの間にも少しずつ変化が加わっている。

ニューヨークでもLAスタイルを見かけることが多いけど、全く理解できないの。

季節があるからっていうのも理解はしてるんだけど、夏にブーツを履くこともあってそれがリアルなLAスタイルだから。

夏にブーツを履くこと、ウエスタンブーツを履くこと、それがリアルなLAスタイル。

ニューヨークの女の子もLAの女の子のようにここでも夏にブーツを履くだろうね。

私はブーツは冬に履くものだって習ってきたから、私は履かないだろうけど。

突然、なんでみんなブーツを履いてるんだろう?って思ったりしてね。

ブーティですら私は履けないと思う。

夏にAir Jordan 2を履くのも暑すぎるからあんまり好きじゃない。

通気性があまりないから。

だからブーツなんてなおさら嫌いだよね。

 

続きはこちら>>Jixieさんへインタビュー Vol.5

SNKRGIRL編集部
SNKRGIRL編集部
神戸・東京・ニューヨークのメンバーと共にグローバルに活動するメディアチーム。

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