そう強く思ったのは、ある出来事がきっかけです。
世界中で活動が行われている中で、さまざまな企業もプライド月間を祝してレインボーをモチーフにした商品を展開しています。
そんな中、私はこんな声を目にしました。
「レインボーだからかわいいと思ったけど、レインボーってゲイの人たちの象徴らしい。危なかった、買わなくてよかった。」
SNSで見かけたこの発言は、レインボーを身につけたことで、自分が“そう”だと思われるのではないか、それは嫌だという意図から発せられた言葉でした。
「危ないって何?」「買わなくてよかった?」
実際にその人が挙げていた商品は、プライド月間を祝して発売されたもので、売り上げの一部がコミュニティ支援のために寄付されるというものでした。
プライド月間を祝して発売されている商品であることは事実としてありますし、デザインのモチーフとなっているレインボーも、LGBTQ+コミュニティを象徴するものとして使用されているものです。
でも、それは果たしてLGBTQ+コミュニティの人以外が身につけてはダメなものなのか。
「自分が“そう”だと思われるのが嫌だから、レインボーのアイテムを身につけるのが嫌」
この考え方の奥には、LGBTQ+コミュニティへのマイナスな感情が潜在的に存在しているものだと思います。
もちろん、自分の身につけているものや外見だけで、中身までジャッジされたくない、その思いは理解できます。
でも「レインボーだからかわいいと思ったけど、レインボーってゲイの人たちの象徴らしい。危なかった、買わなくてよかった。」この発言は、「自分の身につけているものや外見だけで、中身までジャッジされたくない」ということなのか。
それ以上にLGBTQ+コミュニティへの嫌悪感や恥のような感情が存在すると感じます。
他にも私は友人と行ったカフェでこんな会話を耳にすることになりました。
「最近同性婚とかって話題だけど、そっちが自由を主張する権利があると同時に、こっちにもそれを拒否する権利もある。」
何気なく後ろの席から聞こえてきたこの発言に、友人と目を合わせました。
この発言は、完全に“持てる者”の発言だ。
私はそう思いました。
そもそも異性愛者には結婚することもしないことも選べるのに、同性愛者はパートナーが同性だという理由だけで、結婚したくても法律でできない、その選択肢すらない状況に置かれています
結婚する・しないという自由な選択さえ出来ない状況なのです。
しかもなぜ見ず知らずの他人が、結婚する・しないをジャッジできるのか。
同性同士で恋人関係をやっている人を見るのが嫌?不快?気持ち悪い?
それは完全に「差別」です。