時折、世の中を見る視点が人と違うと言われるのですが、そのきっかけは中学生の時に始まっているように思えます。
中学といえば、自分の容姿が気になるし、恋愛も気になるし、友達との関係も気になるし、沸き起こる色んな感情や体の変化が、いったい何なのかも理解できず、でも毎日何かに必死だったり夢中だったり、という「青春」を過ごす思春期の多感な時期。
そんな時期に、私は「女らしさとは何ぞや?」にというフェミニズムで問題提起されるようなことを叩きこまれてしまいました。
叩きこんできたのは、私の母。

学校教諭だった母は、とても頭の良い人で、バイタリティと正義感に溢れていて、教師としての通常業務以外でも、様々な研究会やプロジェクトチームに関わって活動をしていました。
そんなかで、ジェンダー教育に関しても時代を先取った研究グループに参加していた母。
「娘への愛情」をフェミニズムに織り交ぜ、教育という方法で表現してくれていたのだったのでしょうか。
結果、そんな母によって「“女らしさ”は社会的人為的に操作され洗脳されたもの」という考え方に触れることになった私。
おぎゃーって生まれた瞬間の人間が、女の体で生まれたからってピンクを着ないといけないわけじゃない。それは、後から"決められた"こと。
"おお〜!確かに"とそのまま受け入れて、ある意味単純で素直だった私は、目に見える日々の生活の中で気付いてしまう「女らしさ」や女性であるがゆえに求められてしまうことに対して疑問視するようになりました。

"なんで、女だからってなんでもかんでもピンクと赤やねん?!"
"なんで女は黙っとけとか言われなあかんねん?!"
"なんで女だからって副**長って、副ばっかりで長にならしてくれへんねん?!"
"なんで男だけリードするのが正しいみたいになってんねん?!"
なんで?なんで?なんで???
・・・・・・・・・
多感な私には、この「なんで?」が日常的に溢れていて、悔しい思いをすることも多かったことを覚えています。この考え方を植え付けたのは母でしたが、その悔しさにいつも寄り添い、次へと導いてくれていたのも母でした。
当時の私にはそんな強い味方がいたので、基本的にはこの「女らしさ」や男尊女卑や男女の不平等に対しては、中指を立てるスタンスでいました。

ただ、ひとつ懸念していたこともあって、もし社会が勝手に決めた"女らしさ"を完全に否定するとなると、そのうち男性から1人も好かれなくなるんじゃないか?ということでした。
理屈では分かっていても、とはいえ周囲はこの"女らしさ"を元に生活しているわけで。
私は男性が基本的に大好きすし、今でもよく好きになるし、
塾の先生や年上の先輩やクラスメートの男子など、四六時中ドキドキして恋をしていた中学生の私には、この"女らしさ"の打破と周囲との関係性とのバランスはどう取っていいか分からず、完全に捨てる勇気はまだなかなか持ててませんでした。
そこで考えた結果、好きな男性に近づく時とかデートする時には、この"女らしさ"を都合よく使えばいっか... と思っていました。
本当の女らしさは「自分らしさ」ってことだから、それは自分で見つけようと。

こういった「女らしさと自分とのバランス」を探ることは、ある程度の年齢になるまでは、ちょっとしたミッションになっていました。
遥洋子さんの東大で上野千鶴子にケンカを学ぶという本の中で、「自分にとっての女らしさを見つけることは、〜らしさという地図 (マップ)の中に自分の場所をみつけること」といった内容が書かれていたことをずっと覚えています。
女らしさも自分で決めたらいい。誰に決められるものでもなく。
そんな感性と考え方でそのまま大人になり、アメリカで15年過ごし、当時男性が大多数を占めるBreakin'というダンスにハマり、デートの時は髪を降ろして化粧して、料理よりDIYが得意で、ピンクより青と緑が好きで、たくさん恋愛もして、自分のスタイル、自分の生き方、自分の意見を自由に表現する、女性として自立した人間に成長してきたと思います。

私にとって、母が教育してくれたことは、男尊女卑に屈しない強さと賢さと、自分が他の誰とも被らない独自の存在に成長できる、という幸せを与えてくれました。
社会が作った"女らしさ"からの解放は、本当の自分らしさを手に入れる自由への扉
そんな信念を元に、今こうしてSNKRGIRLというメディアを立ち上げ、スニーカーを通して、日本も海外も含め、たくさんの女性に自由で自分らしいあり方と伝えたいというモチベーションの元、毎日仕事をしています。
ライフワークとなったSNKRGIRLを始めるキッカケをたどると、それは母からの影響があったから。
女性として、地方で結婚して子供を産むと、日本がなかなか脱却できなかった家父長制の犠牲になることがあり、そんな経験から男女の不平等に立ち向かってよりよい未来を作っていくことに、母は教育という方法で貢献しようとしていました。
その姿を見ていた私は、WEBメディアという方法で貢献しようとしています。
女性から女性へ、時代や世代を超えて意志は引き継がれ、世界の全女性が平等に扱われ、尊重され、愛される時がくることを信じて。
そんな素晴らしい生き方のきっかけを作ってくれた母に、心から感謝しています。
HAPPY INTERNATIONAL WOMEN'S DAY, MOMMY!